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月に一回の記事アップになっているウエブリブログ、月一回の報告です。 載せた写真は、松原豊さんの写真展を見に行ったときのツーショットです。 ギャラリー176、豊中にある写真家たちの共同運営ギャラリーです。 ここ最近、大阪方面へ行ってなくて、ギャラリー訪問も久しぶりな感じです。 なにかと年寄りになって頑固になって扱いにくい人になっているんやろな。 自分のことを、このようにおもう最近で、ちょっと引いてしまうんですね。 昨日は西院で上野さんと吉本さんで飲み会しました。 帝塚山ハウスと仮称している場所の話題で、来週には訪問したい。 新しくなにかを始めたいという彼らと仲間にしてもらって、何かをはじめよう。 京都でやっているフォトハウス表現塾、ちょっと手詰まり感です。 箕面から始めた今回、神戸、尼崎を経て京都に落ち着いたところです。、 人が集まらないというのは致命傷だと思っていて、そうしたらいいのか。 夏が近づいてきて、少しペースを落として、物事を考えようと思う。 次の展開は、京都と大阪、大阪はぼくの企画ではありません。 共同でできることがあれば、ぼくも参加者のひとりになります。 写真の場ではありません、現代表現研究所の枠を提起します。 若い世代の運営に、うまくかみ合っていければいいと思っています。 昨日、西院で話題になったこと、つぎにつなげたいと思うところです。

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平成から令和に元号が変わります。 天皇生存中に退位され新天皇が即位という歴史に立ち会っている。 立ち会っているといっても、そういう時代に生きているということ。 日本という国家があり、そこに生きているじぶんがいる。 日本語をしゃべり、固有の文化を体感し、考え行動している。 そういう制約のなかで自分という人格があることを視覚します。 新天皇の即位は5月1日で、この日から令和という元号を使います。 ぼくは西暦を使う派だから、使うのは役所に出す文書くらいです。 桜の季節、昨日は鴨川堤、出雲路橋のたもとへ行きました。 フォトハウス表現塾の人材で上野くんが連れて行ってくれた。 若い人たちの集まりだから、ぼくは交わらなかったけど、様子を見た。 いまの若い人達と言っても50代以下の人たち、ぼくの子供世代です。 構想する現代表現研究所、フォトハウス表現塾、この運営者になる人。 このひとたちに託していくことを模索しているところで、その糸口探しです。 一昨年、昨年、今年と、少しずつ動いていて、これは成熟お兆しです。 今年は、少し前進、枠が拡大するように思えて、勇気が湧いてきます。

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3月10日、春らしい気候になっていますが、今日は雨です。 北野天満宮の真紅と名宝展へ行ってきました。 京都文化博物館で只今展覧会が行われているところです。 ぼくなんかは、氏子ではないですが、一番近い神社さんです。 子どものころから慣れ親しんできた神社さんです。 もう10年ほど前から、京都の写真集をネット上で作っています。 あらためて、今の時代を写真に残しておくことの意味を感じます。 展示の中には古い写真があって、その時々のイメージが残されています。 写真の意味をいろいろと考えるんですが、こういう効能も意味のひとつです。. あらためて、そのように思った次第です。

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画像 ここへは月に一回程度の書き込みで、細々とつないでおります。 ビッグローブはぼくが使っているNTTからネットに繋がる回線です。 自分の本音的なレベルで、書き込みをしているブログです。 たぶん、今どきでは、あまり利用されていないブログかも知れない。 ぼくは沢山のブログを作っているけど、プロジェクトの広報用です。 ネットを使って、オフ会へ導く案内をしている、広報です。 でも、ひと頃のような反応は、最近ではあま効果がない感じです。 自分のプロジェクトというと、現在の中心は「フォトハウス表現塾」です。 これは学習システムで有料の枠組みです。 でも、お金を払って学ぶには、それほどの信用力がないのかも。 それだけじゃなく、無料で集まる場を運営しているけれど、低調です。 昨年の今頃、「カフェ&プレス」を立ち上げてきましたね。 秋の九月からは「フォトクラブ京都」を立ち上げています。 今年に入って「写真ワークショップ」を企画しています。 二年間かかって枠組みができたところで、あとは人が育つかどうかです。 これまでの見直しをして、縁切りをした人たちがいます。 誠意を無視され、反故にされ、利用されただけ、だから縁切りです。 でも、新しい枠組みの中で、新しい、素晴らしい、関係が生じています。 今年は、何人かの人と共同で、理想を語り合いたいと思うところです。 あまり具体的に書くのは遠慮しますが、よろしくお願いします、です。 なにもないところから始めることに興味を持たれたら、一緒にやりましょう! フォトハウス表現塾のHP

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フェースブックの過去の記事で、思い出させてくれる記事がでてきます。 三年前には、表現大学に関係してた、二年前には関係を解いた。 そこから紆余曲折、今年に入ってフォトハウス表現塾を実現させた。 理想とする構造を描くのは、自分なりに、これまでにも描いてきました。 それらの総合として、大きな枠組みを関係づけて、できることからする。 二月に中澤さんに会って、ワールド・カフェなる器のことを教えてもらった。 カフェ&プレスの構想は、もう15年ほど前に描いた構造で、それの実現。 カフェ&プレスは認知度が低いというか、内容がよくわからない、という。 その都度の、集まったひとの興味による話題を出しあい語り合う。 運営がなかなか難しい、というのも参加者が成果を求めるからだ。 そこで9月からフォトクラブ京都を立ち上げた。 写真に特化して、巷の写真クラブと同じような方法で、現代写真を捉える。 世の中は難しく考えることで価値をつける風潮だが、そうではない。 意識を低位に置くのではなく、ピンを示す意識だ。 イングリッシュ・ワークショップを企画された石塚さんがとらえられた現実。 その現実からつくりあげられた新しいメソッドが、素晴らしいと思うところだ。 フォトハウスの生成と相似たところがあり、共感したので組むことにした。 既存の常識を破って、新しいドメインをイメージするメソッドだと思う。 やってみないと分からない、そこから始められる人が素晴らしい。 出来あがった器で価値ありという中に入ることは簡単だか、そうではない。 新しい価値を持つ器をつくっていける人、それがいま求められているところだ。

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こんにちは、またまた月一回のペースになってしまいました。 お元気でいらっしゃいますか。 世の中めまぐるしくまわっている感じで目がまわりそう。 そういいながらも、ぼくはその世の中から遠くにきてしまった感です。 懐かしい人たち、会いたい、お話ししたい、そう思いながら名前を見ています。 紅葉の季節で、今年はスマートフォンで撮っています。 最前線、作家、している感じで、ちゃちな写真を撮って、アップしています。 では、また、次はもう12月のいつ頃になるか、不明です。

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嵯峨、大覚寺の南にある円山古墳、ぐるっと回ると石があった。 多分石室の上だと思う、この下に石棺があるのではないか。 宮内庁の参考地との札があったから、それらしい、未発掘か。 嵯峨野古墳群と言われている地域を巡って、いくつが写真に撮った。 今年の夏前から、巡って、スマホのカメラで撮っています。 蛇塚、天塚、甲塚、狐塚、掲載の写真は、円山陵とか、です。

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此処へ来るのは久しぶり、お盆以来です。 9月1日(土)には「フォトクラブ京都」の創立例会をおこないました。 毎月第一土曜日の午後、例会を開催する予定です。 フォトクラブ、いわゆる写真愛好者が集まる写真倶楽部です。 難しいこと言葉で言っているばかりじゃなくて実践します。 写真を撮って作品にする、作品を見て批評する、この二つです。 ただ、その背景に、写真を捉える捉え方というのがあるから、これ。 なんでもいいから撮ったら作品になるなんてことはありえません。 撮る対象の物、現実にある物、それの意味を捉えるのです。 知識の差異があるから全ての人とは言いませんが、意味を捉える。 意味を、誰が見ても普通にわかり、こころ動かされるということ。 この対象を、どのように撮って、まとめるかというトレーニングです。 まあ、現代の作品って、けっこう難解になっているから、敬遠しがちです。 でも、そうでもないレベルで、感動をベースにおく写真、これを求めます。 関西の歴史を担って、その流れの中にフォトクラブ京都を位置付けます。 流れをそのまま受け継ぐのではなくて、内容は現代を表現します。 なかなか難しいことだと思っていますが、現代を見つめる、この視点です。 撮られて発表された写真を眺めていても、現代は立ち昇りません。 見る人の現代認識によって、その現代というイメージが立ち昇るのです。 このように考えているんですが、このことを実践していければいいと思います。 新しく始まった「フォトクラブ京都」のムーブメントです、集まってくださいね。 フォトクラブ京都のページ

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お盆の、大文字送り火の日、8月16日です。 気になっているんですが、ここは月に一回ペースですね。 フォトハウス表現塾への勧誘というかPRのためです。 お知らせとしては、今週土曜日、8月18日はカフェ&プレスです。 5回目になりますが、魅力がないのか、集まってきませんね。 こちらの思いは、相手に伝わらない、そんな感じです。 片思いの気持ち、どうしたらいいのか、沈みます。 フォトクラブ京都を立ち上げようと思っています。 同好会的に、月一回集まって写真を勉強をするクラブです。 レベルをいうなら、かなり高い水準で、勉強したいです。 潮流でいうなら、今を代表する思想とリンクしたい。 政治もそうだけど、写真も閉塞j状態から、脱却させたい。 好き者集まるわいわいがやがやから始まってもいい。 時代をリードする、できるメンバーを育てたい、と思うわけです。 3年前のことを思い出します、2年前のことを思い出します。 そうして1年前のことを思い出しています。 紆余曲折、現在形のカフェ&プレスとフォトハウス表現塾です。 それにフォトクラブ京都は写真家集団として、歴史にリンクします。 こういうことを言ってるから、参加者が少ないのかなぁ。 だんだんと気持ちが萎えてくるのが、分かります。 といいながらも、成り行き任せですが、声をかけていこうと思う。

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先だって小学校の同窓会があって、出席させていただきました。 小学校、中学校、高等学校、それぞれに同窓会が開かれます。 クラス単位の同窓会を開いてる人たちもいるようだけど、不参加です。 同窓生で連絡を取って会うという奴は、いま、二人です。 ひとりは不定期に、ひとりは二か月に一回、事前に日を決めて、です。 そういうことでゆうと、遊び友達はいません、お金使って遊ばなかったから。 たぶん、へんな奴、で通ってきたと思います。 同窓会には、基本、出席します、世話役やります。 というのも、生きていられて、自分で動ける証拠ですから、です。 還暦を迎えた時、それまでの人生を、変更して、仲よくしようと思った。 そんなこんなで、もう古希を過ぎてしまった、やばいなぁ、と思います。 では、また、報告します。

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先ほどアップしたところうまくいかなかったので改めてアップします。 京都は金閣寺の北にある鏡石界隈の写真です。 昔、京都の地層がずれて、断層になった面が鏡のようになっていた。 そこから鏡石という地名がつけられた、といいます。 旧道で、ここを北へいくと、千束、鷹峯です。 日本海、若狭に抜ける街道となっていたといいます。

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今年に入って、このブログを休刊にしていましたが再開します。 ゴールデンウイーク直前となった今日は平成30年4月26日木曜日です。 世の中、国会も混沌としていて、ニュースで見ていて情けない気がします。 ぼくも国家公務員経験もあるし、官僚ではなかったが管理者の立場でした。 文書改ざんなんて、ことに至った内部のことがわかる気がします。 値引き問題にしても、逆ですよ、支払い能力がその金額だった、ということ。 まあ、なんというか、大きな問題、先送りして、注意をそらせて、本質隠しですね。 政治の事に関心を持つことが、情けない気持ちにさせるので、関心持たない。 持たないようにして、卑怯だけど、自分の世界を作っていこうと思うところです。 関心ごとは、現代を表現する枠組み創りと、現代をテーマに表現物を創ることです。 自らが自覚して、現代を表現するとゆうのだから、これは難しいことです。 作家が批評家を兼ねていなければ、それも今を解く視点を持たなければいけない。 そういう視点を持つ事の提案が、すでに現代を表現する枠組みの中にあると思う。 あとの時代になって、あのことがそのときの現代だったのだ、ではなくて、今、です。 今、ということをテーマにするということであれば「東松照明の世界・いま!」展があった。 1980年代の初めから数年間、巡回展を組まれた写真展でしたが、そこに「今」があった。 今を見つめるカギとしての歴史、東松照明さんの軌跡がそのまま「今」に至るみたいな。 今という範囲でいえば「現在」の範囲だけど、ぼくは「現代」という括りを使います。 現在から未来を見据えた期間・年月を「現代」とするわけです。 そのためには過去の事象を捉えなければならないと思うから、歴史研究です。 フォトハウス表現塾を立ち上げていますが、まだ稼働していませんが。

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フォトハウス表現研究所、フォトハウス表現塾。 表現塾には絵画、写真、映像、音楽、文章、五ジャンルの研究。 それらを統合して、文化としての枠組みを考える。 いくら文章で書いたり話したりしていても仕方がない。 それらをいかにして形にしていくかというのが問われるわけです。 たいしたことなんてできないけれど、その枠で提案だけはできる。 それらをだれかが興味を持ってくれて、共同作業になればいい。 ひとりよがりなんでしょうね、やりかたもまずい、ひとりでやっちゃう。 悪循環です、ひとりでやるしかないと思ってやるから共同にならない。 ぐるぐるまわりの悪循環を繰り返しているんでしょうね。 つぶれていくのは、結局、みずからつぶしていく方へ向けてる。 いつものパターンで、学習してるのに、その過ちをいつも冒してしまう。 否定的なことばかり連ねていても、これも公の文章ですから、注意です。 いくつもの場をつくり、いくつもの場にいてきて、ふたたび場をつくろうと。 もうこの歳になって、自分を置く拠りどころとなるベースが、ありません。 安定的に支える枠組みがない、といえばイメージできるでしょうか。 いつも宙ぶらりん、ふわふわ、雲の上にいるような、そんな感覚。 地に足をつけて、ぼくは京都西陣の場末に生まれて生きるひとりの男。 そうしてその場末に身を滅ぼしていくひとりの男にすぎない。 その男が残すもの、死んでしまえば霧散してしまう、そういうことです。 人間の存在って、そんなものでしょうかね、ぼくは何を残していけるのか。

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紅葉の画像を貼り付けたけれど、貼り付けた画像は見えないままです。 このブログは、かなり前に作ったブログで、思い出深いブログです。 写真集、アルバムの作っているし、捨てがたいブログです。 なので、けっこう素直な気持ちで、本音的な文章を書いて、残しています。 随筆なんてほどに、文章を洗練させていなくて、書き捨てというところです。 読んでもらうには、パソコンではだめだ、やっぱり書籍にしないと、という。 それは書籍にしたいけど、金もないし、編集ソフトが扱えないしなぁ、です。 書籍にするのも、近年は廉価で、少部数発行で、できるようになりました。 写真集は、何度も手掛けていて、ヨドバシのプリントブースで作る事ができる。 やっぱり文章が中心の本を作りたいと思うけど、そこまで、なかなかいかない。 いきおい、ネットで、ホームページに載せるところ、そこまでしかできない。 ガリ版刷り、活版から、タイプ打ち、ワープロ文字、印刷の体験をしてきました。 そういうことでいうと、いまは、個人で出版が、簡単にできる時代です。 自分を表現するツールが、格段に使いやすくなっていると思うのです。 本音、ぼくもたいした文章を書いているわけではなく、作家なんて言えない。 ただ、文章を書くことに興味を持った18歳から半世紀、50年以上がたちます。 なにを書くのか、そのなかみのこと、何が書かれているのか、そのなかみ。 技術の話ではなくて、内容の話です。 その内容じたいが、自分よがりなばかりで、客観性を伴わない、のかも。 なにを、どのように、いつも思って、行為するところですが、うまく機能しない。 落胆、失意の日々です。

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京都では70歳を越えた老人は市バスと地下鉄がほぼロハで乗れる。 そういう恩恵を受けて、バスを乗り継ぎ、地下鉄を乗り、して時間を過ごす。 たまたま二条城の前に来たので、降りて入場券売り場のところへ行った。 ロハで入場できると聞いたような気がするので見ると無料入場できる。 何年かぶりで二条城へ入った。 大政奉還から150年にあたるというのでイベントをしているのか。 建物の内部は撮影禁止、ふすま絵などはレプリカ、そういうことだ。 京都にいると、神社仏閣、四季折々の風物があり、写真の被写体になる。 京都に生まれ育ったんだから、京都をテーマに写真をとってやろうと、思った。 生まれ育った地元だから、でも、たまたまそれが京都であった、なんて。 実の処、京都にいるといっても、狭い範囲で生活圏があるわけです。 ぼくは北野天満宮、金閣寺、千本えんま堂、その界隈が生活の場でした。 京都を撮るといっても、記憶に残る幼少のころを追憶していく感じです。 たまたま京都であって、たぶん、観光京都の写真ではない。 京都を撮ったカメラマン、写真家さんはたくさんいらっしゃいます。 京都に住んでいるカメラマンさん、商売用に観光京都写真を作っています。 伝統的に、といっても写真の歴史なんてしれてるなかでの、伝統的作画です。 なあんだ、日本画のなかに描かれる京都の風物が、そのまま写真じゃないか。 そう感じたのが写真をはじめて数年経った頃でした。 絵画と対抗して、絵画を超える京都イメージを作ろうと、していたところです。 女子シリーズは、まさに、絵画を超えようとして生じてきた絵(写真)でした。

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おととい、土曜日、表現塾の撮影実習で撮影にでかけました。 当初、奈良方面へ行く予定でしたけれど、雨のため、場所を変更です。 大阪は、黒門市場へ、撮影できる場所として、選びました。 黒門市場へいくのは、今回で二回目です。 大阪を撮る、というテーマを再開しようかと思っていたところです。 でも、なかなか、足が重くて、とくにこの秋以降ですが、取材できていません。 そういうこともあって、表現塾の写真に撮影実習を定例化しようと思うのです。 なんとなく関西写真シーンの歴史を引き継ぐなかで表現塾を捉えたい。 このように思って、その精神性みたいなものを求めて、いこうとも思う。 ぼくの出身、基本がカメラクラブだから、そこへの回帰といえるかも。 ざっくり、今の関西の現状をみても、形や内容が変わった感じだけど同じ。 同じというのは、クラブ組織ではない形で若いカメラ愛好者が集合している。 もちろん、これまでと同じように、カメラクラブが、数多くある現状です。 ぼくの考え方も変わってきて、軸足をグループ化に置こうとしている。 なんだかんだと言っているけれど、セクト化じゃないのか、と思います。 このセクト化を避けるために、と思っていた自分が、組織化に向かっています。 先輩の大八木さんと撮影に出かけて、これを定例化していこうとのこと。 フォトハウス表現塾、そのなかの倶楽部を組織しよう、結局、これです。 それも、これも、自分の集大成としても、出発点に戻る、原点回帰、かな。 いま、まったくのフリーの立場、失ったものも多いけど、いまから出発でよい。 東松照明さんを持ち出しているけれど、あんまり利用したら、いけませんね。

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昨日も今日も雨、台風が近づいてきているというのです。 衆議院選挙、投票に行ってきました。 誰に、何党にいれたかは公表しませんが、投票しました。 じつは還暦の歳まで、選挙にはいきませんでした。 選挙にいくことは、今ある国を容認することだとの思いから。 でも、年金もらうようになって、国家があって自分があることを実感。 体制内で、どこまでいっても体制の内側にいることを自覚したわけ。 雨が降っているけれど、気持ち的にはおだやか、晴れの日みたい。 いやな気分になることはもういいです、好きなことだけ、やろう。 表現塾がスタートしたことで、肩の荷がおりた感じがします。 ひとりだけの出発から、ひとり、ふたり、賛同者がふえています。 感謝の気持ちと、嬉しい気持ちで、その方たちには、お礼をいいます。 あれから二年、あれから一年、できましたよ、ひとまずスタートです。 あなたはもういないけど、知らせようかとも思うけど、やめときます。 ぼくにだって自負心もあれば自尊心もあります。 負けてたまるか、という闘争心もあります。 この歳になって、まだ若僧のごとく、隠居しないで第一線を死守です。 まあ、みじめな気持ちをいっぱい味わってきたから、それへの仕返しです。 まだまだ始まったばかりですけど、人生はずんずん終わっていくんです。 もうこの先がない、あとどれだけ、やり直すことなんてできない処です。 でも、いま、ほんとに、安堵の気持ちです。

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近くで工事をしているんでしょうね、ドリルの音が耳障り、騒音ですね。 アイチューンで、これは何だろう、シューベルトのピアノの曲ですね。 ドリルの音にかき消されてしまう感じで、ドリルが止まるとホッとします。 道路のアスファルトを割っているんでしょうかね、そんな音です。 いら立ってもしかたがないけれど、けっこういら立ってきます。 文章を書くのに、いちばん頭が冴えている時間だから、です。 一日のうち、頭が冴えている時間って、午前中の3時間ほどです。 いら立っているのは、工事の音だけではなくて、ほかにもいろいろ。 こんなときこそ、落ち着いて、落ち着いて、と言い聞かせてやらないと。 もうメールおかえしすることはないとおもいます、朝、こんな句が目に入った。 もう二年も前のメールのなかの一部分ですが、心がぞっと冷めた感じでした。 辞めてもう一年が経って、ようやく次の形が出来てきたところだと思います。 あなたにも必要なことだと思うのが、牽引となって、進めてきています。 でも、もう、お知らせすることも、やめておいた方がいいのでしょうか。 これまでにも何度か大きな区切りをつけてきました。 新しいところへ旅立つときには、未練に憑きまとわれて、後ろ髪引かれます。 時間の経過で、過去へと追いやってくれるまで、やっぱり三年が必要ですね。 自分で、何してるんだろう、とまるで狐に抓まれた感覚で、わけわからない。 七十年というけれど、その年月が過ぎてしまって、残すは十年あるかなしか。 そう思うと、いらだちはひときわ、一刻たりとも無駄にはできないと思うんです。 目の前にある「孤立無援の思想高橋和巳全エッセイ集」という単行本に目がいきます。

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秋、今日は学区の運動会、朝から開会式に出席してきました。 地域のことに、若いころは無関心でしたが、年とるにつれ、そうではなくなってきました。 とはいっても進んで町役員をするとか、そこまでには至っていません。 何かに生きがいをみつける、そういうことで地域の人たちが役をされている。 ぼくには、地域ではない、もう少し広い領域で、アートに関して、でしょうか。 特別に、写真にこだわってはいないけど、結局は写真の枠組みです。 これは、経験によって、その内容の深部までがわかるから、といえます。 ほかのジャンルには、こだわっていても、評論できるほど知識がないですね。 文学なら小説のこと、古典なんかはわからない、漢詩なんてわからない。 俳句も、短歌も、どうしたらいいのかわからない、素人状態です。 知りたいと思う、だから、学ぶ場をつくって、そこで学びたいと思うのです。 既存の学び場があると言われれば、そうなのですが、はいれこめない。 自分で枠をつくる、そこで自分が満足していくものを得たい、その感覚です。 フォトハウス表現塾という名称の学びの場をつくろうとしています。 それぞれが自分のいる場所、自分が満足する場所を見つける。 その入り口を提供したいと考えているのです。 なんらかの生産に携わり、ほかの人と交流を深めていく、そのことです。 大きくは、反グローバル化、個性を重んじ、個人の生き方を尊重する。 自立といえばよろしいか、自分を見つめ満足するように作り上げる。 そのプロセスを、どうすれば確保できるか、その実践場としての表現塾かなぁ。 語れば語るほど、わけがわからなくなってくる感じで、気持ちは、虚しいです。

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あんまり無理しないで気の向くままにできることをやろう。 こうしてじっとしてあたりを見回してみると、だれがいるんだろう。 ほんの数人の方が、気持ちの上でも、ぼくを支えてくれています。 これまで奉仕してきた様々な処で、ぼくは遠い存在になっています。 ひとえにこれはぼくの資質に拠るものだと思えてきます。 けっこう正義感は強い方だと思います。 なにに対しての正義感かといえば、理想をダメにする勢力に対してです。 理想を求めて、自分の思う理想を追求していくことです。 これまで、妥協することばかりだったから、今を招いているんです。 自分を主張して、だました奴らにやり返していく、でもこれは孤立です。 雨の音が窓辺にしてきて、雨が強くなってきたようです。 いま、何ができるか、自分が正義と思えることを、手掛けていく。 なんだかんだといっても、自分が信じる道しか進めないのです。 いっぱいだまされてきて、いっぱい損をして、でもそれがわかって正解です。 そもそも、なぜ表現塾なるものを、作ろうとしているのか。 べつにあってもなかっても、世の中ほぼ全く変わらないと思われます。 その種の学びの場は、あっちこっちにあるように思えます。 ぼくが思うのは、表現塾は共同体のひとつです。 人と人のネットワークを、幸福が感じられるレベルで集えること。 一言で、反グローバリズムと言えますが、その内容はどういうことなのか。 このことの議論が必要だし、なにより生きていくことへの確実性を得たい。

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徒然にっき、なんてタイトルは、どうみても日本的な気がします。 ここで日本的というと、国粋主義かと思ってしまうけど、そうではありません。 でも、トランプ氏がアメリカ主義なら、こちらは日本主義、とでもするか。 日本という枠組みにこだわってはいませんが、国家という単位があるから。 国家という単位を解消するなんてことは、いまは考えていません。 むしろそれは意識外のこととして、個人の内面にこだわりたいところです。 ところがこの内面というのも、大きな世界と向きあっているんですから。 個人を中心にして、そこから、世界を見渡す、という作業が必要かと思います。 個人の感情というか、幸福感とか充実感とか、そういう感覚を得ていこう。 全体と個人とか、けっこう大きな問題で、近代の個人は、これの葛藤でした。 いま、あらためて、この時代に、あるべき個人の人格を、捉えなおす。 難しいことはさておいて、どうするべきなのか、です。 2002年に「カフェ&プレス」という概念を構想したんですが、検証しています。 これから何をするのか、そのことを、自分のために明確にしていくためです。 おととい、京丹波町の西村さん多田さんを訪ねました。 情報センターの見学もさせていただきました。 ケーブルテレビ局で仕事をされていて、フォトハウス表現塾のメンバーです。 質美小学校のスペースで写真展ができないかの打診です。 実行するための、これから具体的な枠組みをつくるところですが。 前向きに、主体となってやっていけるようにと思っています。 また、また、打ち合わせしながら、具体化していこうと思います。

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思うこと多いんですが、それを言葉に、なかなかできないです。
この年になって、懐疑心というか、疑い深い心理になってきます。
自分の言う事に対して、はたしてそれでいいのか、とかの疑問です。
他人様のことには、あんまりコメントしませんが、要は自分のことです。
表現塾をつくろうとして、そのコンセプトを探しているところです。
ああでもない、こうでもない、理想は何か、それをどう創るのか。
生きた時代によって価値観とか意味合いが変わるんですよね。
自分が生きた年代、時代という内容を検証してみたい。
おおむねその年代でその時代を経験した者どうしが共有できる。
そうかもしれない、世代が違って、見解とか意見とか、相違するんですね。
なんか、そう思うと、虚しくなってくるんです、これは感情の部分です。
感情は切り捨て、という時代があったとすれば、いまは感情込みです。
感情という厄介なものを基底に置いて、物事は考察されるべきではないか。
わけのわからないことで、コミュニケーションが取れないですね。
いまの時代、というのが正しいのか、今の年齢だから、が正しいのか。
なにを求めているんだろう、と根本的な問いが頭をもたげてきます。
真に必要なことは、避けて通らなければ、コミュニケーションが結べない。
いや、これは従前のコミュニケーション論であって、今は違う。
内面、自分、感情、そういった事柄が具体的テーマとなった時代ですね。
そのように思うことからしか、ことは進まないようにも思えるのですが。
未知の領域へいこうとするのは、不安と虚しさとも、入り交じりですね。

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2017年8月2日、夏真っ盛り、暑い日になっています。 午後になって、外出するのも億劫になって、家にいます。 フィルムスキャンをして、ノートブックパソコンを開けたところです。 思うこと、多々ありますが、胸につかえたまま、書き出せずにいます。 あれから2年、二年前の出来事が、フェースブックで出てきました。 その人は写っていませんが、その日のことは思い出せます。 その人は、いま、どこでなにをしていらっしゃるのでしょうか。 その後の消息が分からなくなって、もう知る由もありませんね。 その後のことが分からないということが宙ぶらりん感覚です。 区切りがつかない、いつまでも、たぶん、命尽きるまで。 そういう人のことが、何人かいらっしゃいます。 ぼくの気持ちの中のことで、完全に秘密の領域になります。 こころを開けるといっても、秘密はないといっても、秘密は秘密。 知ってほしいと思うけれど、ブログにも具体的には告白できない。 夏の日、小説を書き出して、それも匿名で書きますが、それに専念。 なにしてるんやろ、もうあと何年あるのか、それなのに、です。 成り行き任せで、無責任とはいえ、悶々とします。 新しい領域への展開は、これは公然だから、公表していきます。 秘密のない人生でありたいと思うけど、それは秘密のなかです。 まもなくお盆、今年は、父の七回忌ということで、予定を組んでいます。 人とは、永遠にあることはなくて、無限ではなくて、有限ですね。

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暑い日がやってきて、暑い日が去って行って、夏が終わる。 今年はまだ夏が始まったばかりなのに、暑さに負けてしまいそう。 もう70回を越えて、夏を迎える体験をしているわけです。 夏の思い出、カメラを持ったころ、内灘で弾薬庫の跡を撮った。 釜ヶ崎で、1979年と1980年、青空写真展をおこなった。 このように思いだすこといろいろ、この夏は、なにがあるのだろう。 記録をしておかないと、忘れてしまって、そのままになりますね。 近年だと、日記をつけるということもあり、最近ならSNSとかブログとか。 自分を意識する、意識した自分を記録としてのこしていく。 表現する主体が、かっては外にあった出来事を記録してきたものです。 それが近年では、自分という主体を意識して、記録していくことになる。 表現とは、自己を記録して、記憶の中に埋めていく、ということも言える。 かってあったような方法だけではなくて、自分を主観でもって記録し残していく。 そのレベルが、自己表現の現在点だといえるのではないかと思います。 フォトハウス表現研究所なるものを立ち上げました。 そこでは表現塾を主宰しようと思っています。 当分は自分が中心になって呼びかけ、進めていきます。 表現研究会のときは、主体にはならないで、集まったひとが中心に。 でも、キックオフは、だれかがやらないと立ち上がらないと悟りました。 自分のプロジェクトとして立ち上げ、グループ化しないといけない。 金銭の授受が伴わない組織運営は、なかなか難しいことだと思えます。

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もう半世紀も以前の話になります、1966年、昭和41年の写真展。
京都写真サロン展が、京都大丸6Fホールで開かれた。
会期は6月28日から7月3日です。
主催は全日本写真連盟京都府本部と朝日新聞京都支局。
その入選者名簿を大八木元治さんから預からせてもらった。
京都の写真作品制作者の方々、存じ上げる名前がたくさん。
ぼくが参加するのは1976年だったから、それより10年前です。
関西の写真史をまとめてみたいと思っているところですが。
その一環として、ぼくの足元であった京都の写真史を見ています。
アマチュア写真家たちといってしまうと、写真撮影を仕事の方もいます。
ひところ、プロアマ混在、ちうような言い方をしていたが、プロもアマもない。
現在では、プロとかアマとかのいい方は死語で、写真作品制作者ですね。
ぼくは、その行為を表現の一種だと思いだしていて、表現論を考えます。
この半世紀前、フィルムの時代でモノクロにカラーが混じりだしたとき。
京都写真サロン展の特賞(朝日新聞社賞)は二谷和男氏のカラー作品です。
朝日新聞社がバックの全日本写真連盟は、全国組織です。
いまもめんめんと続いている組織で、主にクラブ単位で入会しています。
ぼくが参加していたのは1976年から1980年までだと記憶しています。
いまとなって懐かしい思い出が、特に人たちの顔と名前がなつかしいです。
歴史を書き起こしていかないといけないなぁ、と思うばかりで、進みません。

徒然にっき-20-

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ここのブログもけっこう長いこと利用しています。 タイトルの「徒然にっき」は、兼好さんの「徒然草」をもじったもの。 その徒然草が起草されたのは双ヶ岡の山裾の草庵でした。 その場所は、いま小さなお寺になっていたと思うが、歴史を感じます。 掲載した写真は、先日、双ヶ岡に登って撮ったうちの一枚です。 自分の存在、意識のありよう、自分の価値観を構成しているもの。 それらに興味を持って、自分の全体を把握したいと思うのです。 崩れ落ちた感覚のなかに残ったものは、国破れて山河あり、ですね。 二年前、いやはや五年前、十五年前、ずんずんと過去に戻っていきます。 それらに、一応の終止符を打たれた感じで、なにが残るのか。 双ヶ岡が特別な記憶の場所ではないけれど、記憶に残る場所。 過去の光景を求めて、過去の成功体験を求めて、自分を救済する。 もう七十年も生きた、その痕跡を辿るわけですが、この先がないから。 同窓会の幹事をしていますが、まわりで健康を害したひと、死んだ人。 なんだか、年を取るということは、淋しいことが多すぎる気がします。 なによりも、この先が不安、というのが大きいですかね。 それなりに、以前のような立ち回りができなくなっている。 出来なくなっている自覚を、知りたくない、退けたい、そう思ってしまう。 身体が老化することと反比例して空想がひろがり、現実感覚が喪失する。 自分のなかでぐるぐると妄想がひろがり、現実と間違うというのが現実。 なんだか、世間に申し訳ない、失礼ばかりしている、そんな感覚です。

徒然にっき-19-

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かって白虎社で踊り子をしていた今さんが舞踏館で踊られている。 昨年、京都の烏丸三条あたりにオープンした旧家の土蔵が舞台とか。 その情報は知っていたけれど、公演を見る勇気がなかった。 ぼくは1980年から白虎社を取材していて、写真を35年間封印していた。 一昨年あたりから、フィルムスキャンしてアルバムやブログにのせています。 そのメンバーだった今さんが舞踏を続けていらっしゃるのです。 昨日は、その写真展のトークイベントに出席させていただいた。 ほぼ若い人、女性が多い、たちが集まって話を聞いていらした。 セイリー育緒写真展、ギャラリーMainで開催されていて、そのトークです。 ギャラリーは社交場、人と人が交流する場です。 もちろんそこにある展示物を鑑賞することが前提となります。 ぼくは、おもはゆい気持ちになります、恥ずかしさもあります。 アウトサイドな、体制外的な場所で取材してきた身としては、美しすぎる。 ギャラリーという社交場は、やっぱり、眩しくって、気恥ずかしくていけない。 この2年間、大きなうねりのなかで進めてきた企画について、終息宣言です。 昨日、そのことを表明したところで、侘しさと虚しさですが、これでよいと結論。 すべてが終わっていきます、引き際というのがあるから、それが今ということ。 フォトハウスの名称を残し、自分表出を行うことで、つないでいきます。 何を撮ってきたのか、何をしてきたのか、そう思うと、検証がひつようかもなぁ。 意識以上に老人の域だから、それらしく振る舞わないといけないのでしょうね。 反省も込めて、自分のことを考えて、進んでいこうとおもうところです。

徒然にっき-18-

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今日はこの前文字さんと一緒に行った耳成山口神社の写真を使いました。 昨年からの宿題といえばいいのか、大和三山巡りの二番目です。 どうしてだか、写真の被写体に、旅気分で出かけた場所を撮ってみます。 それほどインパクトある写真でもないが、思い入れがでる写真ですね。 なにしてることか、自分で自分の行為を、理屈づけできないでいます。 理屈づけできないのは、写真を撮ることだけじゃなくて、ほかにも及びます。 パソコンに向かって、文章書いたりするけど、なんでするんやろ、と。 このブログは、文章を主体にして記録しているブログです。 でも、ひと頃のような、論理じみた文章にならない、支離滅裂な感がします。 なにしてるこっちゃ、なにしてるん、なんでぇ、こんなことしてるん。 わけもなく、わからないことだらけで、どうしたものかと、憂鬱になります。 学びの枠組みを提案して、それを実現させるとしても、その意味が掴めない。 いや、本当は理屈ずけることは、結構やってるのに、それが虚しくなるのです。 朝から、もたもた、パソコンをメンテナンス中だけど、よくわからない。 過去の栄光にすがるなんて、とってもばかげたことだと思うんです。 いま、なにを、しているのか、これが重要なポイントで、現役でないと意味ない。 じゃあ、いま、なにをしているjのかと自問して、恥ずかしいことばかりしてる。 プライベートなこと、性癖というか、生理的なことだけど、老体をどう認知するか。 頭も、肉体も、衰えてきているのに、妄想は衰えていかないようです。 壮年から老年へ、からだの変化といえばいいのか、そうかも知れない。 感覚が変わってくる、頭の中で、見えるモノが変わってくる、これは変化です。

徒然にっき-17-

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写真の先輩大八木さんと撮影会した天神さんの縁日記念を張っておきます。 ぼくがカメラを持って写真を始めた最初のころに所属した光影会にいらした人。 もう八年も前だが、DOTで再会、それから光影会の例会と撮影会にいく。 光影会は京都シュピーゲルという名称が変更になった写真倶楽部でした。 いま思うと関西写真史のメインストリートではあった、血統書付です。 当時からの生き残りの先輩といえば、いまや現役では、大八木さんです。 1977年、ぼくは、光影会と全日写連と関西二科会の三組織の会員でした。 今年の初めに、この光影会が実質上解散しました。 それはそれでよかったと思いますが、ぼくの中では継承しています。 ちょうどその後になって4月「表GEN研究会ph」という名称になったグループ。 関西の写真の歴史の血筋を引いた集団として、ぼくは認知しています。 岩宮武二氏、棚橋紫水氏、木村勝正氏、達栄作さんらは先輩になります。 ぼくが1970年代の中盤に、写真を学んだ器の出発点がここにあります。 その後、反発して釜ヶ崎へ行く後に、インディペンデント系と出会います。 1980年代からはじまった関西の写真シーンにコミットしてきて35年以上になる。 伝統的写真倶楽部の系譜を引き受け、新しい潮流を創ったメンバーとして。 フォトハウスを継続し、写真図書館、表大、IMI、京都写真学校のメンバー。 いま、それらの統合を、ぼくは新たな企画で、新しい潮流をつくります。 総合文化研究所、むくむく通信社、それを支える考え方に基づいていきます。 新たな企画は、それらの組み合わせということになるかと思います。 新しい場つくりは、カフェ&プレス構想をアレンジでいいいのではないか、と。

徒然にっき-16-

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いま実名を使っているブログの数が20個ほどあるなかで、ここがメインだと思っています。でも、ここでは文章を、三段と決めていて、これがけっこう億劫になっています。作成するのに時間がかかる、ということもあるけれど、何を書こうかと迷うからです。写真だけのブログがけっこうあって、そこへも最近はアップできていないです。
欲を出しすぎているのだと思うが、これらは広報のために作り置いてあるブログです。
今月に入って「表GEN研究会ph」という会を立ち上げました。これへの会員募集を、写真学校のときの広報手段を使って、やりだしています。
なんだかんだといっても、お金を使わないで広報しようというのだから、これしかない。ブログを駆使して、ぼくの考え、思い、などを順次まとめていく作業をしている。自分のための、といえばその傾向があって、自分の資料として構築しているんだな、と。けっきょく、ひとりよがり、自己中っていうんですね、自己中心でしかなくて、成果があがらない。いっぽうで、実名をださずにペンネームで書いているブログもあるわけで、これがメインかも。小説を書いていきたいと思って、自己中な小説を書いていて、全体妄想のなかにいる。総合文化研究からはじまって、エロス試行まで、幅をひろげてしまって、収拾がつかない。
いつも、何してるこっちゃ、と懐疑心にさいなまれていて、正常じゃない意識だと思う。この正常じゃないと思うところに、実は正統派思想家の源流みたいなのがあるんかも。阿部公房の「燃えつきた地図」を書架から取り出して、奥付をみたら1967年発行です。今回のプロジェクト名付け親の白川さんとの会話で出てきた本です。今更ながら、燃えつきた地図、いまのぼくには、何度も燃やしてしまったあとの地図。新たな地図を描き始めた、と思いたい、ああ、もう、最後の地図作成だな、と思います。今日使った写真は、21日にメンバーの三人展を見に行ったときのスナップです。