自分史-14-

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1965年初版発行1966年2月四版のものを買ったようです。ようです、というのは買った時の記憶がはっきりしないからです。1965年は高校を卒業した年で、三条新京極角の十字屋楽器店に勤めだした年で、お金をもらえるようになったから、レコードと本をたくさん買いだした時でした。十字屋の前に、リプトンがあって、本屋さんがあって、その本屋さんで本を買っておりました。それから取次店へいけば卸値で買えたから、全集もんなんかは取次店(日販だったか)で購入しておりました。ええ、これは「憂鬱なる党派」高橋和巳の書下ろし長編小説で、読みましたよ。内容は、学生のころの政治論みたいは内容だったかと思うのだけど、内容がわからなかった。けれども読み終え、再読はしていません。

主人公の西村が、教員をやめて広島原爆被災者の体験を聞き取り、原稿用紙にまとめた、という話になって、出版するべく出版社を訪ねるのですが、ことごとく断られる、この原稿用紙を包んだ風呂敷を持ったまま、釜ヶ崎の住人となっていく、という筋書きだった記憶があります。もし書き間違いのところがあったら、読まれた方、教えてください。この最後のほうの、西村の行方ですが、小説家には、または小説には、破滅型ってゆうのがあって、これは破滅型小説になるかと思います。ぼくの当時でいえば、太宰治を読み始めた時だったし、この破滅型にはまり込んでいきました。なぜ、ここで「憂鬱なる党派」をとりあげているかということを、次に書きます。

釜ヶ崎へ行こうと思って行くのは1978年9月のことでした。その頃に、鮮明に思い出されてきたのが、憂鬱なる党派の西村のことでした。ドヤで死んでしまったあとに残された原稿用紙で、紙飛行機を作って飛ばして遊ぶ子供の風景があった、この現場、釜ヶ崎、そこに来ているんだ、という自意識がありました。1966年から1970年までの、学生運動のながれは、いまでも語られることがありますが、その時代の中にいて、終わって、10年が経って、1979年夏、釜ヶ崎に写真取材し、文章を書き、していたことを思いだします。もう40年も前の出来事で、時代とともに釜ヶ崎のありようも、文学や小説のありようも、変化してきたと思えますが、自分史に書き加えておこうと思います。

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