にっき190929

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令和元年9月29日、これが今日の日付です、西暦では2019年です。
10月からは、消費税が10%になる、天皇の即位礼が行われる、そのほか。
おおきなところだから、ぼくのブログ記事にはそぐわない気がしています。
もっと、自分自身に即したことを、書いていきたいとおもうところです。
写真塾や映像塾を、あらためて立ち上げたいと思っているところです。
絵画塾や文学塾もいっしょに立ち上げたいと思っているところです。
今日の話題は、それらをどこかの枠組みで、実行していけないかということ。

フォトハウス表現塾で具体的な企画を作っておりますが、内容がまだです。
実行するべく枠組みは、フリースクールであったりカフェ&プレスでした。
企画はできても、実行する部隊がいない、人が集まっていかないとできない。
そう思って、この三年間、いろいろ模索しているところです。
結果として、成熟しなかったと断定して、新たなチャレンジを始めます。
枠は見つかるのだけれど、うまく整合性がつかない、そんな感じです。
まあ、パワーがないといえばそういえると思う、パワーがない。


自分史-2-

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<内灘再訪>
先に内灘で撮った45年前の写真を載せたことから、内灘が意識のなかに遡上して、一昨日(2019.9.18)内灘へ行きました。JR金沢駅からいまは地下発車になる北鉄に乗って、およそ20分、内灘駅に到着。記憶では駅から数百㍍でしたが、実際は1キロ。海に向かって歩いていきました。もうあたりは住宅地になっていて、のどかな光景に思えます。でも私の心は、深い闇の世界へと赴く感覚でした。とてつもなく大きくて広い世界の、闇の領域へ、自分を見失うほどに、沈みこんでいくのでした。風があって、砂が舞うので、波打ち際までは行けなくて、海は遠望するしかなかったけれど、ここの砂浜はだだっ広くて、訪れる人もなく、晴天でした。

1970年が過ぎたころ、反鎮魂という文学同人に加わって、小説を書きだしました。その冒頭が、冬の内灘海岸の描写からでした。凍える炎というタイトルで、長編になる予定でしたが、第一章原稿用紙それでも50枚くらいだったか、書いて中断、未完になりました。内灘闘争が背景にあって、その後の主人公たちの生き方を描く、なんてちょっと硬派な小説を想定していました。1974年ごろには気持ちが緩んでしまって、文章が書けなくなっていて、そのころ手にしたカメラに活路を見い出しだしました。写真への傾斜は、このころから始まりました、1975年の春ころです。
(続く)

自分史-1-

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<映像情報のころ>
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1980年8月、映像情報というフリーペーパーを発刊しだします。使ったイメージ(写真)は内灘の風景。1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本独立となりますが、この年、石川県の内灘海岸に米軍の砲弾試射場が建設され、反対運動が起こったという歴史があります。映像情報の創刊号に、その弾薬庫の跡を撮った写真を使っています。撮影は1975年か76年じゃなかったかと記憶しています。夏に家族で海水浴にいったところが内灘で、買ったばかりのニコマートで、モノクロフィルムで初めて風景を撮った写真がこれでした。

初めて内灘を訪れたのは1965年、私が高校を卒業した年です。訪れたいきさつは書きませんが、そこで見た風景が弾薬庫の跡でした。追って、それ以後の私の履歴についても、書き及んでいきたいと思いますが、いまは飛ばします。それらから10年の後に一眼レフカメラを買い、家族を撮っていましたが、このときはモノクロフィルムで撮った何本目かで、海水浴場内灘へ行った家族の写真のなかに、数コマ、弾薬庫跡を撮っています。もちろん、歴史上の記念碑的スポットとして認識しており、その後、1980年に映像情報を発刊する表紙に、その写真を使い、執筆した「私風景論」のなかにも数カットの写真を使用しています。

一枚の写真、その重みという言い方をすれば、私にとっては重い一枚の写真でした。現在2019年ですから、撮られてから45年ほどか起ち、人目に触れさせて39年という年月が過ぎています。やっぱり私はこだわっている気がしています。私風景論は1978年の夏に執筆した文章で、それを書き上げたのち、同年9月、大阪は西成区の釜ヶ崎取材に入ります。最近になって、私の探求グループに参加しはじめ、私を探求するとは、どういうことなのか、と自問しているところです。私の私風景を表出させる試みが、あらためて浮上してきているといえます。
(続く)

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自分史プロローグ

私の探求、自分とは何か、第一人称の私、自分、これがこのブログでのテーマです。これまでにも自分についてあれこれ詮索しながら書き残しているところですが、あらためて、自分探求を試みます。アプローチの矢の射りかたというか方向は、外に向け、内に向け、軸をどこに置くかで話の筋が違ってくると思います。

どういう方向で、何を話題にして、自分史を構成していこうかと、思案しているところです。自分史を書こうとする動機は、先日の研究発表が契機となっているから、やっぱり第一部は、1970年代半ばから1980年半ばまでの10年間を俯瞰してみるのがよかろうと思います。私の探求にもつなげたいし、自分の枠組みを作るためにもつなげていきたいと思います。では。


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つれづれに-10-

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ここのブログで書いた記事をフェースブックに載せようと思うと、ちょっと手間がかかる。
この記事のアドレスをコピーして、フェースブックの投稿にコピーする。
そうするとこの記事がフェースブックに連動される、ということになっています。
記事を書いてフェースブックにシェアできる機能がついたブログもあります。
連動させても写真が転載できないブログもあります。
掲載の写真は、展示されていた鎧と兜を撮らせてもらったものです。

そんなこんなでブログを整理したところですが、このブログは残しました。
ビックローブが運営していて、ネットをこの会社の回線でつないでいることもあります。
最近、フォーマットが変わって、記事アップしやすくなったこともあります。
それから、本音らしいところで、文を書こうと思うブログでもあります。
今日は、このあとビジュアルアーツへ赴いて、二時間、自分の話をいたします。
ここのブログにあった自分史のテーマで、新たに書こうかとも思うところです。


写真研究会のレジメです

<明日開催の下記研究会に配布するレジメです>

日本写真芸術学会関西支部第6 回写真研究会
「1970年代以降の関西の写真の動向を考え、アーカイブスの方法論を探る:京都を中心とした写真活動について」

2019.9.7 中川繁夫

1977   釜ヶ崎取材開始

1979.8  釜ヶ崎三角公園 青空写真展

1979.12~  季刊釜ヶ崎創刊(通巻10号まで)

1979.12  飲み屋「聖家族」で個展


1980.2   自主ギャラリー・フリースペース「聖家族」の開設

1980.27 フリースペース「聖家族通信」発刊

1980.8~1984.1 映像情報の発刊(通巻12号まで)

1981.11 フォトシンポジューム京都(ほんやら洞)

1982.1  東松照明氏の京都取材始まる

1982.5  自主ギャラリー「ザ・フォーラム」オープン

1982.6  図書館に写真集を

1982.9  いま!東松照明の世界・展

1982.12 第二回フォトシンポジューム京都(府立勤労会館)


1984.3 関西若手写真家49人展

1984.11 フォトハウス構想発表

1985.8  フォトハウス写真ワークショップ京都開催

1986.311 通年カリキュラムによるフォトハウスワワークショップ京都を展開

1988.9~1992 フォトハウス資料室を開設 ワークショップ開催、写真集閲覧

1992     写真図書館オープン


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写真研究会のお知らせ

<ご案内です>

日本写真芸術学会 関西支部第 6 回写真研究会
「1970年代以降の関西の写真の動向を考え、アーカイブスの方法論を探る:京都を中心とした写真活動について」

関西の写真家たちは、1970 年代以降にオルタナティブな活動を積極的に行ってきました。
あらゆるメディアや形態での写真活動を俯瞰し、自主ギャラリー、企画展、雑誌など、それらの資料をどのように収集し、保存すれば良いかを探ります。

今回は 1980 年代より京都を中心に写真家、写真評論家、写真教育など様々な活動を現在まで続けられている写真編集者の中川繁夫氏をお招きして、関西と京都を中心とした写真動向を振り返ります。ぜひご参加ください。

日時:2019 年 9 月 7 日(土曜日)
午後 5 時~午後 7 時
(午後 4 時30分開場)
登壇者:中川 繁夫氏(写真編集者)

会場:ビジュアルアーツ専門学校大阪
VD1校舎(新館)7階7B教室
(大阪市北区曽根崎新地 2-5-23)

※阪急梅田、阪神梅田、JR 大阪、
地下鉄梅田、東梅田駅から徒歩 10 分。
地下鉄四ツ橋線西梅田から徒歩 5 分。
※会場には駐車場はございません。
参加無料 【事前申込み不要】
連絡先:jsahp.kansai@gmail.com
※ただし、9/7 当日のみ受付、午前 10 時~午後 3 時
※会場への電話でのお問い合せはご遠慮ください

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今週の土曜日、2019年9月7日ですが、写真の話をします。
ビジュアルアーツ専門学校が会場です。
1980年代の京都の写真状況について、ぼくの記憶を語ります。
まあ、総まとめの二時間にしようと思いますが、ぶっつけ本番です。
パソコンの中でアルバムを開いたら、この写真がみつかりました。
釜ヶ崎の三角公園で開催した写真展です。
パネルにしているから、第二次の巡回展のひとつです。
この展示のことは、忘れていました。
1980年代の初めのころは、季刊釜ヶ崎の編集発行があります。
巡回写真展を企画して、大学や教会やギャラリーで展示活動をしました。
そんな話も含め、今週末、大阪にて、話をする予定です。

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暑い八月が終わって今日はもう九月です。
すっかり涼しくなって、夏の疲れが出ている感じです。
倦怠感のような、前へ進める気分がそがれる感じで、もたもたです。
昨日は、大阪豊中の服部天神そばにあるギャラリー176へ行きました。
台湾在住の作者の生い立ちからのトークがあり、自縛の私写真に感銘です。
なにかと気分が落ち着かない日々ですが、がんばっていこうと思います。
写真は、地蔵盆の数珠回し光景(取材地:京都紫野 2019.8.14)