徒然にっき-18-
今日はこの前文字さんと一緒に行った耳成山口神社の写真を使いました。
昨年からの宿題といえばいいのか、大和三山巡りの二番目です。
どうしてだか、写真の被写体に、旅気分で出かけた場所を撮ってみます。
それほどインパクトある写真でもないが、思い入れがでる写真ですね。
なにしてることか、自分で自分の行為を、理屈づけできないでいます。
理屈づけできないのは、写真を撮ることだけじゃなくて、ほかにも及びます。
パソコンに向かって、文章書いたりするけど、なんでするんやろ、と。
このブログは、文章を主体にして記録しているブログです。
でも、ひと頃のような、論理じみた文章にならない、支離滅裂な感がします。
なにしてるこっちゃ、なにしてるん、なんでぇ、こんなことしてるん。
わけもなく、わからないことだらけで、どうしたものかと、憂鬱になります。
学びの枠組みを提案して、それを実現させるとしても、その意味が掴めない。
いや、本当は理屈ずけることは、結構やってるのに、それが虚しくなるのです。
朝から、もたもた、パソコンをメンテナンス中だけど、よくわからない。
過去の栄光にすがるなんて、とってもばかげたことだと思うんです。
いま、なにを、しているのか、これが重要なポイントで、現役でないと意味ない。
じゃあ、いま、なにをしているjのかと自問して、恥ずかしいことばかりしてる。
プライベートなこと、性癖というか、生理的なことだけど、老体をどう認知するか。
頭も、肉体も、衰えてきているのに、妄想は衰えていかないようです。
壮年から老年へ、からだの変化といえばいいのか、そうかも知れない。
感覚が変わってくる、頭の中で、見えるモノが変わってくる、これは変化です。

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