日々にっき200731

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コロナ禍が収まりそうにありませんね。
東京、大阪、京都もですが、感染してる人が、増えています。
今日は7月の月末ですが、気をやんでしまって、例年の夏の気分がしません。
世の中、変化していくと思いますが、元に戻すことはできないですね。
成り行きに、とはいっても、生活破綻が起こったら大変なことです。
庶民の生活が守られることがなにより大切なことだと思います。

新しい時代に向けて、一般庶民が気持ちよく暮らせることが必要ですよ。
お金が稼げないことで、気持ち的に虐げられる、ということがないように。
お金がなくても意義あると思える生活、生き方を、模索しないといけません。
そのための素材を得るために、なにをするのが、求められているのか。
学びの場と実践の場を、創り出していかないといけないと思うのです。
これからの時代の人を、どうするのかを考え実践できる場が、必要ですね。

学校、生産、共有、新しいシステムを構築していく時が来ていると思います。
これまでの経済構造をリセットして、新しい社会構造をつくっていくこと。
具体的なプログラムを、考えていかないといけません。
学校は、そういうところで成果を発揮していくようにしないといけません。
総合文化研究所やむくむく通信社が提案したことを、いまこそ実現するように。
新しい共同体をつくっていくための、学習をしていかないと、いけません、提案です。

日々にっき200728

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余りにも愚問だとは思うけれど、自分っていったい何なんだ、と問うてしまうのです。
ええ、今年74歳になりまして、いよいよ命が危ない、そういう処にまできています。
自覚しているのは、からだが滅びていくことです。
滅びるという現実を目の前にして、心というものが疼くわけです。
からだにくっついた心というやつが、気にかかるわけです。
まだ意欲がある、まだ気力があり、まだ性欲がある、あるにはあるが、です。

すごい時代になっているなぁ、と思うんです。
Z世代(ぜっとせだい)テレビで見たけど、若い人たち、孫の年代ですね。
現在発信ツールはSNS、そうですね、SNSは反応が手に取るようにわかります。
その相手が、誰だ、ということが、SNSではわかります。
ツイッター、インスタグラム、フェースブック、SNSの三種の神器ですね。
ブログでは、アクセス数だけで、誰だかわからない、SNSはわかる。

自分の居場所を求めているんでしょうね、いつの年代の人間も、これを求めている。
リアルな場所に群がるには、お金がいるけど、バーチャルでは、お金がいらない。
お金がいる、いらない、は大きな問題であって、いまは大半の人が金を生み出せない。
ぼくは年金生活で、かろうじて日々生活の費用は何とかなっています。
でも、それができない世代の人たちは、行き場がないんだろうな。
そんな行き場になる場所を、つくりたいなぁと思って、表現学校の枠組みです。

京都表現学校写真ゼミコースが開講します

京都表現学校の写真ゼミコースが2020年8月2日(日)に開講します。

初歩から学びはじめる「写真ゼミコース」は1年間で24日受講のプログラムです。
ワークショップ形式で、写真表現をする基本からステップアップ方式で進めます。

カメラの扱い方、写真の見方、写真表現の方法などを、個別に学んでもらいます。
写真を撮ることに興味を持たれて、どうしたらいいのか方法がつかめない方が対象です。

経費は1年間で10万円です+初年度生は入学金2万円。
詳しいことは、お問合せください。
開塾場所は<アマノコーヒーロースターズ>です。
〒603-8203 京都市北区紫竹東高縄町23-2ルピナス1F
<問い合わせ先>
☆主宰者中川繁夫へお問い合わせください。
☆または AMANO COFFEE ROASTERS
<アマノコーヒーロースターズ>
〒603-8203 京都市北区紫竹東高縄町23-2ルピナス1F
Tel&Fax(075)491-6776 です。

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自分史追録-2-

追録-2-
 本を読むという読む本のことですが、自分から探して求めて知った、というより知人から、推薦されているのを見て、とかで手にすることが多いんです。柳田国男さんの遠野物語も、誰かからの勧めだったと思います。柳田国男さんの別の著作では「海上の道」「民間伝承論」この二冊をいつの頃か読んでいます。遠野物語は別の二冊ほどには熱心に読みこんでいませんが、これは文庫本で手元にあります。海上の道は日本文化の源流について勉強させてもらいました。民間伝承論では、記録の方法について学ばせてもらえました。遠野物語は物語として生成させるための原風景、そのことをイメージする必要性みたいなのを感じているところです。いずいれもぼくの写真を論じるベースになるところです。

 直近、吉本隆明さんの「共同幻想論」を読むというNHKのテキストが書店に並んでいて、ぼくは昨日、そのテキストを買いました。吉本隆明さんの著作でいえば、言語にとって美とはなにか、共同幻想論、心的現象論序説、とこの三冊に調味を持っているところです。ざっと表面を舐めただけだから、内容を論じるほどには知識を持ちませんが、勝手に解釈的にいえば、文学であれ写真であれ、物語が生成されてくる、作家として言えば物語を生成させる現場を、考えさせてくれるものと、思えるのです。共同幻想論が書かれた参考文献は、遠野物語と古事記だと吉本さんは書いています。この領域については、ぼくも大いに賛同するところです。

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自分史追録-1-

追録-1-
 昨日、旧知の長澤氏からNHKで共同幻想論を読む番組があると告げられました。ぼくも先日書店でそのテキストを見て、手に取ってみたけれど、結局買うのはためらい、やめました。そのかわり岩波新書で出ている飛鳥の都を買ったところです。さて、共同幻想論という書物は難解な内容だと述べられているんです。共同幻想に対置して個人幻想、対幻想という概念で、三つの幻想領域があるというのです。逆立という概念が吉本氏によって書かれていて、共同幻想と個人幻想は逆立の関係だとNHKのテキストに解説されて、逆立とはいかなる状態をいうのか、ということの意味がおぼろげながらわかる説明でした。ぼくはその後の心的現象論序説をもふくめ、言語にとって美とはなにかと共同幻想論と心的現象論が、一連の表現の根幹をなす問題を提起していて、そのことが吉本隆明の思想の独自性があるのではないかと感じるのです。

 先ほど、手元にある共同幻想論を開いて、拾い読みすれば、吉本さんは文献として、古事記と遠野物語に限って参考にしている旨の記述があります。マルクスやエンゲルス、社会主義リアリズムに対してアンチ社会主義リアリズムを論じても、そこからは新しい領域は生じない、というようなことを言われています。この位相をずらしたところから止揚する方法として、吉本さんは一連の論を展開しているのです。戦後日本の思想のなかで、新しい日本的思想の内容が、イメージとして生成させられるのではないか。ぼくは、このように思えるのです。個人幻想と共同幻想は、個人と社会という二極です。それに対幻想は、家族、夫婦という性を伴う関係でしょうか。現代の表現とは何か、何をもって現代表現とするのか、この関係を描くイメージがいったいどんなものなのか、とぼくは問うのです。そういう会話を、昨日、したと思います。

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フォトクラブ京都7月例会のお知らせ

<ご案内>
フォトクラブ京都は現代表現研究所が主催する研究会的集まりの場です。
主に写真のことについて語り合います。
会費は不要、会場はアマノコーヒーロースターズさんのテーブルです。
月に一回、第三土曜日の午後2時~5時に集まっています。

<フォトクラブ京都の2020年7月例会ご案内です>

2020年7月例会は、7月18日(土)午後2時~5時です。

写真撮影の技術や制作技法の研究だけでなく、現代の潮流を話題にしています。
参加される個人が、自立していけるクラブを目指しています。
ただいま会員さんを募集しています。

詳しいことは、お問合せください。

開催場所は<アマノコーヒーロースターズ>です。
〒603-8203 京都市北区紫竹東高縄町23-2ルピナス1F

<問い合わせ先>
☆主宰者中川繁夫へお問い合わせください。
facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100047061093297

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自分史-29-

<ドイツ・イデオロギー>
1969年でしたが、誰かに勧められて、この文庫本を買いました。ドイツ・イデオロギー、マルクス、エンゲルスの著作です。高校の時に勧められて共産党宣言を読みました。卒業して資本論全四冊を購入して、第一巻を読んでいた記憶がよみがえってきます。マルクス主義というのは経済だけではなくて文学、哲学、思想書だ、なんてだれかに言われて、そうなんだ、文学部生も読むのだ、みたいな妄想もあり、自称でもマルクス主義者なんて呼べないけれど、唯物論の世界観に親しんでいったのでした。

1969年といえば、学生運動で、全共闘運動が盛んな年で、この2月には東京大学の安田講堂に立てこもった運動家らを機動隊が排除した、物々しい年です。ぼくは2月当時は京都にいて、東京へ赴くのは3月になってからでした。この本も携えていったうちの一冊でした。読んだのか、と問われて、読んでいないともいえないし、読んだともいえない一冊です。気持ち的には本を読むなんて落ち着いた気持ちではなくて、浮き足立っていました。立場は、ノンセクトラジカルと呼ばれている人の群れにいたと思っています。民青集団でもなかったしベ平連集団でもありませんでした。

それらから半世紀、50年が過ぎています。昨日書店へいたら共同幻想論の新版が並んでいて、難解な本だというような帯がついていました。今年になってから開いてみましたが、たしかに難しい内容ですが、ざっくり、マスヒステリーというか、共同体内部者の共通思考イメージなのかと思えるのです。ぼくの文学発想、写真映像の制作原点は、このこと共同幻想の外側に立てるか否か、というようぬも思っているところです。もう人生終わりかけになってきて、おおきな網を世界にかぶせて、俯瞰している感じがしています。神の視点とでも言えたらいいけど、そうとは言えませんね。

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自分史-28-


<奇譚クラブ>
なにかと敗戦後の日本を語る枠に、エロティシズムの内容に触れる論調があると思っています。あまり、表立っては語られない領域ですが、セックスのこと、セックスの偏向のこと、アブノーマルだといわれる世界があります。どうしたはずみか、かなり年少のころに、この雑誌を見たのです。1954年2月号だから、昭和29年2月に発行された雑誌です。男と女の秘め事の、今につながるSM雑誌の始まりが、この辺りにあったのです。今現在、この雑誌のページが、ほぼ全冊全頁、ネットにて公開されています。日本の芸能史というよりエロティシズム史のなかで、話題にされていいと思えます。三島由紀夫氏が愛読してたとか、そういう話しをどこかで読んだことがあります。ここでは、内容には触れませんが、ぼく自身の性癖に影響を与えられていると思っています。

硬派ではなくて軟派の部類になると思うのですが、小説家をめざしていて、小説家にはなれなかった自称小説家のぼくは、けっこうエロティシズムのほうへ、その内容を求めているところです。現在では、アダルト領域、映画館とかでは18禁、ネットの中でも18才以上かどうかと問うてくる領域、アダルト作品として、自分で扱っていて、アダルトのところに掲載しています。もちろんノーマルな読み物としてあつかって、新聞連載小説のウエブ版でブログ小説としているのもあります。文学表現の、使われる言葉の歴史みたいなのを、それとはなしに実感しながら、かなり果敢に新表現を試みているところです。反応がないといえばないのですが、アクセス数はかなりなものです。

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日々にっき200709

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清凉寺の阿弥陀堂には仏像が安置されています。
阿弥陀堂の畳のところに座って、正面を見ると写真の光景です。
源の融という人物が住んだ場所という説明があって、光源氏のモデルです。
とおい昔のイメージを想いながら、座っていると、こころが安らぐ気がします。
この光景は昨日7月8日の午後に訪れたときに撮らせてもらった一枚です。

清凉寺の西側に精神科の病院があって、その前を通って、化野のほうへ行きます。
中学の頃に飯盒炊爨といえば、この道をとおって、清滝まで行軍したものです。
病院は友だちがその息子ということで、当時から親しみを持っている精神科病院です。
高校生の頃、診察してもらおうかと、ひとり、真剣に思ったものでした。
引きこもりとか不登校とか、そういうことになっていた自分を思い出します。

高校の国語の教師だった池垣先生は、へんな先生でしたが、同志社の神学部を勧めました。
悩んでいたことを知った先生が、神にすがったらいいのでは、との意味だったのか。
そのころ、池垣先生の家へはよく行っていて、友だちと一緒になんども泊まりました。
いろいろと思い出している最近ですが、もう半世紀以上も以前の出来事です。
まだ、この先、どれだけの時間があるのか、未定だけれど、自分史を手掛けています。


日々にっき200706

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最近、飛鳥寺へ行きまして、飛鳥大仏さんを撮らせていただきました。
日本最古の仏像だというので興味津々なのですが、写真を撮ってもかまわない。
撮ったらダメ、という大半の仏閣にして、撮影可というのは、とっても嬉しい。
一般に、神秘を壊すから撮るな、ではなくて、禁止の理由がわからんわけです。
まあ、そんなこと言っていても始まらないから、撮れるとこだけ撮らせてもらう。

飛鳥寺は、飛鳥の都があった処で、蘇我入鹿の首塚が飛鳥寺の横にありました。
飛鳥宮跡へも行きましたし飛鳥資料館へも行きました。
昨日、本屋さんへいって新書の棚をみていたら「飛鳥の都」があって買いました。
日本のルーツとして、箸墓古墳あたりから平城京あたりまで、痕跡を辿っています。
ひとりではなく、MONNJIさんに連れていってもらって、学ばせてもらっています。

MONNJIさんといえば、中学高校と吹奏楽の後輩で、現職で音楽が職業です。
ここ四年ほどになりますが、古代史に詳しい彼と一緒に、古代史巡りをしています。
ぼくはカメラをもって、写真を撮っているんですが、まだまとめていません。
部分部分、ネットに載せて、発信しているところですが、作品にはなっていません。
不惑を昔に過ぎているのに、まだまだ人生に、惑い迷いばかりな高齢者です。