自分史(2)-6-

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文化祭にはクラス単位の合唱コンクールがあるのですが、ぼくは指揮者をつとめて、三年間、毎回続けて優勝しました。記念写真がありますが、指揮者だからでしょうか、最前列に腰を落して座っているのです。今、見てみると、晴れがましいです。クラスの連中引き連れて練習したかいがあって、優勝の栄誉に輝いた、というわけです。たまたま優勝したわけで、ぼく自身、それほど感動した記憶はなくて、あっ、そう、程度だったように思います。吹奏楽のステージ、軽音楽のステージ、クラス対抗の合唱コンクール、音楽の場面はぼくが取り仕切ったということになりました。

大学進学から就職に変更したのは、三年生の秋の終わりごろだったと思います。京大なんてムリムリムリ、受験勉強なんてしてないんだから、受かるわけないわなぁ、と思っていて、決断して就職することにして、進路部の部屋へ行って、先生に就職する、と話しました。ほぼ即決、十字屋楽器店が人ほしがっている、ピアノの調律師の仕事がある、受けてみるか、という話しで、三条新京極の本店へ面接に行きました。技術部の部長さんは森さん、年配の方でした。電気できるか、と問われたので、ラジオとか作った経験があると話して、それならエレクトーンのことやってみないか、といわれて、ピアノ調律ではなくてエレクトーン技術をやることになったのです。

卒業を迎えていた日々、出席日数が足らないから、補講するので朝から来なさいといわれて、補講をうけて、卒業できることになりました。生徒指導の金加先生がぽつり、入試の成績はトップクラスだったのに、どうしたんかなぁ、みたいなことを言われたのを覚えています。卒業式の日は、もう、卒倒しそうなほど、むなしさの気持ち、ばかりだった記憶があります。学校近くのパンを売ってる店は行きつけの店で、最後のパンを買った記憶がよみがえります。別れは辛い、大半は大学進学なので希望に満ちていたと思うのでしたが、ぼくは、就職してしまった、との思いなのでした。

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