自分史(2)-5-

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ガリ版刷りのための原紙つくりにヤスリと鉄筆を使うんですが、正式には孔版というのでしょうか、ぼくが小学生の頃、母親がこの技術を習いにいっていて、ぼくが高校性のころには、もう道具一式を使っていなくて、ぼくが使うことになりました。小説で足摺岬というのがありますが、そのなかでガリ切りする光景が出てきます。なにか暗いイメージの記憶がありますが、文学すること自体が暗いイメージを伴っています。もちろんぼくのイメージにすぎなくて、ですが、自分の暗闇に光をあてて表に出してあげる、これが文学行為の根底かとも思っていたのです。行為としてのガリ切りは、奈落に堕ちそうな気持を下支えしてくれる作業としてあったように思えます。文章を書く、写真を作る、これらの行為としての作業は、下降するこころを底から支えてくれる器なのだと思えます。

原紙にはマス目が入っていて3㎜だったか5㎜だったか、そのマス目に文字を角ばらせて書くと見栄え良い、ということを教わって、そのことができるように練習しました。詩集を作ることが目的で、詩そのものを書きださないといけません。これはメモのような感じでノートに書いた記憶があります。当時はノートにびっしり日記を書いていたその延長に詩があった気がします。なに紙っていうのか、千本の文具店へいって紙の見本から種類と色を選んで、裁断してくれるというので、裁断してもらって、その紙を謄写版においてローラーで刷り込んでいくのでした。印刷は生徒会室にあったから、そこを使わせて(黙って)もらいます。冬の夕方、きもちは虚しい、泣きそうな心で、ローラーで刷った記憶がよみがえります。17歳の出来事です。

出来上がった詩集は、一部五円でクラスの女生徒に売りつけていました。女生徒はキャッキャいって手にして、読んでくれて、面はゆい気持ちになりましたが、なにかしらの快感でした。たわいない告白の交じった短文ですが、文章が書けることを意識したことはありませんでしたが、当時は、小説を読むというより詩を読むことのほうが多かったです。アポリネール、リルケ、バレリーとか、朔太郎、光太郎、藤村とか、そのうち堀辰雄にいきついて「風立ちぬ」のフアンとなり、全集を手に入れるようになります。全集といえば太宰治全集が筑摩書房から出ますが、もうそのときは大学受験の浪人時代だったかなぁ、と記憶をたぐっています。音楽と文学のはざまを振り子のようにゆらゆら揺らせていた気がします。

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