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徒然にっき-7-

2017/01/31 14:07
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2017年の1月が終わります。
もたもたしながらの日々ですが、1月が終わります。
朝からデーターを整理を、ハードディスクの中を整理してました。
データーの大多数が写真データーです。
ハードディスクに置いているけど、使うことが無いですね。
といって消してしまうことも気持ちの上でできないでいます。
といいながら何年も前の古いデーターはすでになくなっていますが。

フィルムをデジタルにスキャンしているところです。
1970年代の終わりから80年代初めのところをスキャン中です。
精力的にやってないからあんまりすすんでいません。
まだ数百本分はあると思うけど、ちまちまとやっていきます。
スキャンしてると、記憶が甦ってきたり、覚えていなかったり。
まさに自分の歴史、痕跡、歩んできた道、といったものですね。
今年になって新しいブログを作ったりして、リニューアルしています。

撮る写真も、神社仏閣を中心に摂りだしていますが、自分の記録です。
文章書くより、動画で撮るより、写真に撮るのが手軽ですね。
ちょっと世間から遠のいていく感じですけど、仕方ないんかなあと思う。
いつまでも現役なんて、自分では思っているけど、決してそうではない。
使った写真は、大覚寺、名古曽の瀧跡、嵯峨天皇の住まいがあった処とか。
F・Jさんの住所が、嵯峨名古曽町という記憶があって懐かしいんです。
どないしてるのか、まだ生きてるんやろな、ここかで生きてるんだよね。

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徒然にっき-6-

2017/01/22 09:03
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何処へ行って、何を書こうかと、うろうろ徘徊しています。
日曜日の朝、寒い朝、ラジオは美空ひばりのマドロスさん。
懐かしい、昔々、といっても60年ほど前になるのか。
老年になったものだ、つくづく自分の歳を思ってしまう。
写真を一枚載せていますが、このブログでどう見えるのか。
昨日、星が丘洋裁学校って所へ行かせてもらって撮った一枚。
うんうん、女子たちが写真の被写体にするイメージ満点の場所。

日本画を学ばれた方が、この場所で展示をされているので見に行った。
不思議な場所、そこで展示をするひとが不思議に思えているんです。
ああ、いまの時代の生き方が、この環境にあるんだろうな、自然派。
農塾に通ってたころのイメージが甦ってきて、ほんのりの気持ちでした。
おみかんをいっこいただいて、帰りの喫茶店で食べたら、おいしかった。
そのイメージは、思い出すと、おとぎの国の出来事だったような。
新しい学校構想を少しご披露して、縁があったら繋がると思う。

七行三枠というフレームで文章を書いていますが、これは公開です。
フィクションも書きたいし、芸術論的なのも書きたいし、と思っています。
正月以来、その枠をブログにて作っているのに、文が書けない。
なにかしら、重圧を感じてしまって、気持ちが思うように動かない。
もたもたしながら、雑文と雑写真を組み合わせて、お茶を濁してる。
思うひとがいるのに、遠回りして、結局、実名では触れられない。
アメリカの大統領、不評のようですが、ぼくはそうは思わない。

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徒然にっき-4-

2017/01/19 10:49
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もう長年の知りあい、稲垣さんの応援というか、支援というか。
彼が孤軍奮闘、組合と炊き出しの会を運営している姿に感動します。
おととい、裁判傍聴に動員がかけられ、センターからバスに乗る。
裁判のなかみには触れないが、勢力的に裁判闘争を続けています。
原告として裁判に持ち込むわけですが、弁護士、弁護団がいるわけです。
ぼくはそのまわりで、傍聴に行くひとりにすぎません。
その彼が、昨年から病気と闘っている姿をみて、感動的に応援します。

年齢的には、彼はぼくよりも数年年上で、老齢の部類です。
釜ヶ崎で、裁判傍聴の動員に応じてくる数十名のひとたちは、まだ若い。
若いといっても五十、六十、もう少し若いひとも見うけます。
みんな一生懸命生きている。
炊き出しに頼っているひともいるようで、バスの中で会話がある。
ぼくは、年金生活だけど収入があって、それで生活しています。
これ以上の金儲けはしないつもりで、底辺生活を続けようと思う。

生きることの価値観は、金がすべてではなくて、価値を別の処に求める。
それでいいと思っているけれど、金儲けすることに価値を見る人もいる。
金を持った多さで人間の価値が計られるわけではなく、生きる中身だ。
そう思って、その中身を見ようとしているけれど、それがわからない。
自分を見るということが、いま求められ、これからの在り方の価値だと思う。
そういう時代に来ていて、それをいかに作品化していくのか。
これが、表現のテーマとして必要なことだと思っているところだ。


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徒然にっき-3-

2017/01/14 09:41
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土曜日の朝、もたもたと、午前中の時間、なにをしておこうかと、迷う。
結局、ここへ来て、徒然にっき、を書こうと思って、書き出したところ。
これまでの、気になることが、ちらちらと脳裏にきらめいてきます。
でも、それらの光景を紐解いて、記述していくことは、ここではできない。
この文章は公開しています。
なにもかも公開できるほど、単純な生き方をしていないから、秘密。
秘密は持たない方がいいと思うけれど、誰にも言えないことも多々。

最近は、神社と仏閣、人を撮らないで、構築物や仏像などを撮っている。
その場にいたという存在証明みたいな、其処を訪れたというような。
その行動の行為が、意味をもってくるような、作品とならないか。
漱石の門という小説があるけど、仏閣の山門の前に立つとき思い出す。
迷い人、門を見上げて何を思うや、この門を開けたら、何があるのか。
迷うを晴らす世界があるなら、開いてみるのも意味があるかも。
古希を過ぎ、ますます迷いが生じてきているを自覚します。

今日掲載の写真は、これまでにも方々で載せた写真です。
釘抜地蔵尊の太子堂の仏像、真ん中の仏像、誰だかわからない。
阿弥陀如来、そう思っていたけど、違うみたい、札に書いてあったけど。
太子堂というから弘法大師、空海、そのひとが此処を訪れて、開いた。
そういうことで、太子堂があり、仏像の前に座ってるのが、弘法太子か。
石像寺という浄土宗のお寺、庶民信仰、京都は千本上立売にある。
自分が生まれ育った地域だから、もう少し掘り下げて、見てもいいのかも。



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徒然にっき-2-

2017/01/08 12:31
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正月も終わり1月8日、日曜日、雨が降っています。
朝からもたもた、もう昼の時間になってしまいました。
文学・小説のはなしで、漱石や堀辰雄などのことを書きました。
文学の論ではなくて、雑文、自分のj記憶をたどっている感じ。
これらの行為は、自分のためにやっているんだな、と思う。
世間の流れに合わせる必要もなく、自分流でいいんでしょうね。
それしか言いようがないきがします。

批評となると、それなりの枠組みを作って、方法があって、それに準じる。
ぼくの場合は、それを無視しているわけだから、どうしようもない。
いかにも雑文で、書きなぐって、推敲なんてほとんどしません。
でも、なんだか、空しいんですよね、虚しい、むなしい。
写真も文章も、いっぱい撮って、いっぱい書いて、公表してる。
ネットがなかった頃って、手元に置いておいて、見せること少なかった。
いまや、SNS、ツイッター、フェースブック、インスタグラム、フリッカー。
時代の流れですよね、ひと頃にはなかった情報流通の時代です。

新しい方法を駆使して、使いこなそうとしています。
ツールは、パソコン、スマホ、タブレット、この三種を手元にそろえた。
ネットワーキングで自己表現、それから交流、情報交換、ですね。
実際には、生身で会える人でなくても友達になったりできます。
交友関係、人間関係、というのも電話だけ時代から様変わりしています。
展覧会の在り方なんかも時代に合わせて、構築されるべきでしょうね。
今年は、世の中、大きく変化する年だと世間での話題です。
そのように思います、何が変わるのか知らないけれど、世界が変わる。






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徒然にっき-1-

2017/01/01 14:44
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西暦2017年、平成29年、歳の初め、今日は元旦です。
あれこれ、昨年は50数年ぶり、心の災難だったと思っています。
今年は、これまであった関係を終えて、新しい関係を創りたい。
もう、あと10年くらいしか時間がない、との思いがあります。
年齢70を越えてしまった自分がいます。
周辺大方の男子、その寿命が80歳前半のようです。

新しいことを始めようとの気持ちはあるけど、体力が、精神力が。
新しいことを、といってもこれまでのアレンジでしかないのだけど。
何かしてないといられない性格のようなので、仕方がないと思う。
16歳のころの感覚が、今の歳になっても、同じような感覚だと思える。
でも、これは、たぶん、うそで、体験が同じようだということで、そう思うのかも。
一昨年、昨年と、気持ちが落ち着かなくて、迷い系だったと思っています。

今年は、新しい決意で、新しい気持ちで、新しいことを始めたい、と思う。
ボードレールに詩集をだしてきて、ぱらぱら、めくっていました。
新しいところでは、古事記の世界に興味が傾いているなぁ。
それらの統合イメージで、作品が創れないか、とも思うところです。
作家まがいのことやっていかないと、評論だけでは、いけないな。
東松さんが、作品を作りながらの行為だ、と暗示していらしたから、ね。

フォトハウスの生成について、書き始めたところですが、東松照明さん。
今日は達栄作さんの写真を、記憶の写真、として別ブログにあげました。
先輩として影響を受けているのは、達さんと東松さんの二人です。
達さんのところで学んだことで東松さんとつながった、と考えるのが妥当です。
達さんと撮影に行った余呉とか、伸子さんとか、懐かしい写真を先に見ました。
今年は、そのへんから掘り起こしていかないと、いけないのかなぁ、と思う。






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