徒然にっき

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zoom RSS つれづれに160307

<<   作成日時 : 2016/03/07 16:20   >>

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生きるってことが四苦八苦というじゃありませんか。そのうちの四苦というのは生老病死というじゃありませんか。それに追加の四苦があって八苦となる、と辞典に書かれているんですね。ウイキペディアによると<四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。 苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味する。根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、 根本的な四つの思うがままにならないことに加え、愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること、怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと、求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと、五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと、の四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。>と解説されているんですね。

老いて病て死ぬ、なんてことは人間の肉体のことだから、しやないなぁ、なんてあきらめの境地へ至るように気持ちをそちらのほうへと導くように努めている、なんていえばかっこいいけど、これはやっぱり、思うことが苦なんですね。そのように思えます。そのあとの四つ、愛する者と別離すること、つぎは飛ばして求める物が得られないこと、肉体と精神が思うがままにならないこと、うんうん、四苦八苦とは、こういうことか、なんてことを引用してこうして羅列することで、精神の安定を図っているふしがあるのに気づきます。とくに、愛する者との別離、なんてことが起こったら、どう対処しようかと思ってしまって、気持ちが動転してきます。求不得苦、これですね、最近の苦しみは、たぶんこれです。

苦しみといえるのかどうかはここで苦しみだと認定されたわけだけれど、求める物が得られないことを苦とするには、この得たいものの質というかレベルというか、このことを自分なりに吟味しないといけないですね。ぼくの場合、得たいものとは<愛>、なんてかっこいい言葉が導きだされます。どうしてなのかと問われても、愛というイメージに包まれると精神が安定するだろうと想像できるからでしょうか。それで愛というイメージの対象物に、愛する者、という個別の物が明らかになってきます。愛する者、家族、妻と夫、その関係、ということでしょうか。今日はどうかしてるなぁ、といま、思っています。少し気負っていて、読ませる文章にしなくちゃ、と思う気持ちで、わけわからへんことを書きつつある感覚です。

言葉じゃないんだよな、感じることなんやろな、でも、それを、表現するには、言葉しかないじゃないか。いやはや写真という静止画イメージで表現、ってこともあるかなぁ。いずれにしても内面の表面をしか描写しないじゃないのかなぁ。四苦八苦の四文字からはじまって、わけのわからないところで言葉を紡ぎだしてるようです。肝心なのは情、なさけ、じゃないかなぁ。人が人に、情けを、与えて、頂く、という相互の関係が体感できるとき、それは苦を超える、ということになるんじゃないか。ここでこうして書いていると、そんなふうに思えてきます。いま、ぼくが立っているところは苦の領域なのかもしれない。別れ、別離、このことへの嘆き、苦しみ、そういうことかもしれない。ただし、これは時間の経過によって和らいでいく感情でもある、と知っています。



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