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徒然にっき
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中川繁夫のアルバムです kyoto 2009年10月〜2010年12月
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徒然にっき-26-

2017/09/07 16:28
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あんまり無理しないで気の向くままにできることをやろう。
こうしてじっとしてあたりを見回してみると、だれがいるんだろう。
ほんの数人の方が、気持ちの上でも、ぼくを支えてくれています。
これまで奉仕してきた様々な処で、ぼくは遠い存在になっています。
ひとえにこれはぼくの資質に拠るものだと思えてきます。
けっこう正義感は強い方だと思います。
なにに対しての正義感かといえば、理想をダメにする勢力に対してです。

理想を求めて、自分の思う理想を追求していくことです。
これまで、妥協することばかりだったから、今を招いているんです。
自分を主張して、だました奴らにやり返していく、でもこれは孤立です。
雨の音が窓辺にしてきて、雨が強くなってきたようです。
いま、何ができるか、自分が正義と思えることを、手掛けていく。
なんだかんだといっても、自分が信じる道しか進めないのです。
いっぱいだまされてきて、いっぱい損をして、でもそれがわかって正解です。

そもそも、なぜ表現塾なるものを、作ろうとしているのか。
べつにあってもなかっても、世の中ほぼ全く変わらないと思われます。
その種の学びの場は、あっちこっちにあるように思えます。
ぼくが思うのは、表現塾は共同体のひとつです。
人と人のネットワークを、幸福が感じられるレベルで集えること。
一言で、反グローバリズムと言えますが、その内容はどういうことなのか。
このことの議論が必要だし、なにより生きていくことへの確実性を得たい。




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徒然にっき-25-

2017/08/24 11:23
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徒然にっき、なんてタイトルは、どうみても日本的な気がします。
ここで日本的というと、国粋主義かと思ってしまうけど、そうではありません。
でも、トランプ氏がアメリカ主義なら、こちらは日本主義、とでもするか。
日本という枠組みにこだわってはいませんが、国家という単位があるから。
国家という単位を解消するなんてことは、いまは考えていません。
むしろそれは意識外のこととして、個人の内面にこだわりたいところです。
ところがこの内面というのも、大きな世界と向きあっているんですから。

個人を中心にして、そこから、世界を見渡す、という作業が必要かと思います。
個人の感情というか、幸福感とか充実感とか、そういう感覚を得ていこう。
全体と個人とか、けっこう大きな問題で、近代の個人は、これの葛藤でした。
いま、あらためて、この時代に、あるべき個人の人格を、捉えなおす。
難しいことはさておいて、どうするべきなのか、です。
2002年に「カフェ&プレス」という概念を構想したんですが、検証しています。
これから何をするのか、そのことを、自分のために明確にしていくためです。

おととい、京丹波町の西村さん多田さんを訪ねました。
情報センターの見学もさせていただきました。
ケーブルテレビ局で仕事をされていて、フォトハウス表現塾のメンバーです。
質美小学校のスペースで写真展ができないかの打診です。
実行するための、これから具体的な枠組みをつくるところですが。
前向きに、主体となってやっていけるようにと思っています。
また、また、打ち合わせしながら、具体化していこうと思います。

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徒然にっき-24-

2017/08/12 12:14
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思うこと多いんですが、それを言葉に、なかなかできないです。
この年になって、懐疑心というか、疑い深い心理になってきます。
自分の言う事に対して、はたしてそれでいいのか、とかの疑問です。
他人様のことには、あんまりコメントしませんが、要は自分のことです。
表現塾をつくろうとして、そのコンセプトを探しているところです。
ああでもない、こうでもない、理想は何か、それをどう創るのか。
生きた時代によって価値観とか意味合いが変わるんですよね。

自分が生きた年代、時代という内容を検証してみたい。
おおむねその年代でその時代を経験した者どうしが共有できる。
そうかもしれない、世代が違って、見解とか意見とか、相違するんですね。
なんか、そう思うと、虚しくなってくるんです、これは感情の部分です。
感情は切り捨て、という時代があったとすれば、いまは感情込みです。
感情という厄介なものを基底に置いて、物事は考察されるべきではないか。
わけのわからないことで、コミュニケーションが取れないですね。

いまの時代、というのが正しいのか、今の年齢だから、が正しいのか。
なにを求めているんだろう、と根本的な問いが頭をもたげてきます。
真に必要なことは、避けて通らなければ、コミュニケーションが結べない。
いや、これは従前のコミュニケーション論であって、今は違う。
内面、自分、感情、そういった事柄が具体的テーマとなった時代ですね。
そのように思うことからしか、ことは進まないようにも思えるのですが。
未知の領域へいこうとするのは、不安と虚しさとも、入り交じりですね。



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徒然にっき-23-

2017/08/02 14:34
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2017年8月2日、夏真っ盛り、暑い日になっています。
午後になって、外出するのも億劫になって、家にいます。
フィルムスキャンをして、ノートブックパソコンを開けたところです。
思うこと、多々ありますが、胸につかえたまま、書き出せずにいます。
あれから2年、二年前の出来事が、フェースブックで出てきました。
その人は写っていませんが、その日のことは思い出せます。
その人は、いま、どこでなにをしていらっしゃるのでしょうか。

その後の消息が分からなくなって、もう知る由もありませんね。
その後のことが分からないということが宙ぶらりん感覚です。
区切りがつかない、いつまでも、たぶん、命尽きるまで。
そういう人のことが、何人かいらっしゃいます。
ぼくの気持ちの中のことで、完全に秘密の領域になります。
こころを開けるといっても、秘密はないといっても、秘密は秘密。
知ってほしいと思うけれど、ブログにも具体的には告白できない。

夏の日、小説を書き出して、それも匿名で書きますが、それに専念。
なにしてるんやろ、もうあと何年あるのか、それなのに、です。
成り行き任せで、無責任とはいえ、悶々とします。
新しい領域への展開は、これは公然だから、公表していきます。
秘密のない人生でありたいと思うけど、それは秘密のなかです。
まもなくお盆、今年は、父の七回忌ということで、予定を組んでいます。
人とは、永遠にあることはなくて、無限ではなくて、有限ですね。

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徒然にっき-22-

2017/07/15 21:44
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暑い日がやってきて、暑い日が去って行って、夏が終わる。
今年はまだ夏が始まったばかりなのに、暑さに負けてしまいそう。
もう70回を越えて、夏を迎える体験をしているわけです。
夏の思い出、カメラを持ったころ、内灘で弾薬庫の跡を撮った。
釜ヶ崎で、1979年と1980年、青空写真展をおこなった。
このように思いだすこといろいろ、この夏は、なにがあるのだろう。
記録をしておかないと、忘れてしまって、そのままになりますね。

近年だと、日記をつけるということもあり、最近ならSNSとかブログとか。
自分を意識する、意識した自分を記録としてのこしていく。
表現する主体が、かっては外にあった出来事を記録してきたものです。
それが近年では、自分という主体を意識して、記録していくことになる。
表現とは、自己を記録して、記憶の中に埋めていく、ということも言える。
かってあったような方法だけではなくて、自分を主観でもって記録し残していく。
そのレベルが、自己表現の現在点だといえるのではないかと思います。

フォトハウス表現研究所なるものを立ち上げました。
そこでは表現塾を主宰しようと思っています。
当分は自分が中心になって呼びかけ、進めていきます。
表現研究会のときは、主体にはならないで、集まったひとが中心に。
でも、キックオフは、だれかがやらないと立ち上がらないと悟りました。
自分のプロジェクトとして立ち上げ、グループ化しないといけない。
金銭の授受が伴わない組織運営は、なかなか難しいことだと思えます。

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徒然にっき-21-

2017/07/03 16:48
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もう半世紀も以前の話になります、1966年、昭和41年の写真展。
京都写真サロン展が、京都大丸6Fホールで開かれた。
会期は6月28日から7月3日です。
主催は全日本写真連盟京都府本部と朝日新聞京都支局。
その入選者名簿を大八木元治さんから預からせてもらった。
京都の写真作品制作者の方々、存じ上げる名前がたくさん。
ぼくが参加するのは1976年だったから、それより10年前です。

関西の写真史をまとめてみたいと思っているところですが。
その一環として、ぼくの足元であった京都の写真史を見ています。
アマチュア写真家たちといってしまうと、写真撮影を仕事の方もいます。
ひところ、プロアマ混在、ちうような言い方をしていたが、プロもアマもない。
現在では、プロとかアマとかのいい方は死語で、写真作品制作者ですね。
ぼくは、その行為を表現の一種だと思いだしていて、表現論を考えます。

この半世紀前、フィルムの時代でモノクロにカラーが混じりだしたとき。
京都写真サロン展の特賞(朝日新聞社賞)は二谷和男氏のカラー作品です。
朝日新聞社がバックの全日本写真連盟は、全国組織です。
いまもめんめんと続いている組織で、主にクラブ単位で入会しています。
ぼくが参加していたのは1976年から1980年までだと記憶しています。
いまとなって懐かしい思い出が、特に人たちの顔と名前がなつかしいです。
歴史を書き起こしていかないといけないなぁ、と思うばかりで、進みません。

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徒然にっき-20-

2017/06/20 09:36
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ここのブログもけっこう長いこと利用しています。
タイトルの「徒然にっき」は、兼好さんの「徒然草」をもじったもの。
その徒然草が起草されたのは双ヶ岡の山裾の草庵でした。
その場所は、いま小さなお寺になっていたと思うが、歴史を感じます。
掲載した写真は、先日、双ヶ岡に登って撮ったうちの一枚です。
自分の存在、意識のありよう、自分の価値観を構成しているもの。
それらに興味を持って、自分の全体を把握したいと思うのです。

崩れ落ちた感覚のなかに残ったものは、国破れて山河あり、ですね。
二年前、いやはや五年前、十五年前、ずんずんと過去に戻っていきます。
それらに、一応の終止符を打たれた感じで、なにが残るのか。
双ヶ岡が特別な記憶の場所ではないけれど、記憶に残る場所。
過去の光景を求めて、過去の成功体験を求めて、自分を救済する。
もう七十年も生きた、その痕跡を辿るわけですが、この先がないから。
同窓会の幹事をしていますが、まわりで健康を害したひと、死んだ人。

なんだか、年を取るということは、淋しいことが多すぎる気がします。
なによりも、この先が不安、というのが大きいですかね。
それなりに、以前のような立ち回りができなくなっている。
出来なくなっている自覚を、知りたくない、退けたい、そう思ってしまう。
身体が老化することと反比例して空想がひろがり、現実感覚が喪失する。
自分のなかでぐるぐると妄想がひろがり、現実と間違うというのが現実。
なんだか、世間に申し訳ない、失礼ばかりしている、そんな感覚です。


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