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中川繁夫のアルバムです kyoto 2009年10月〜2010年12月
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徒然にっき-28-

2017/10/13 11:12
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近くで工事をしているんでしょうね、ドリルの音が耳障り、騒音ですね。
アイチューンで、これは何だろう、シューベルトのピアノの曲ですね。
ドリルの音にかき消されてしまう感じで、ドリルが止まるとホッとします。
道路のアスファルトを割っているんでしょうかね、そんな音です。
いら立ってもしかたがないけれど、けっこういら立ってきます。
文章を書くのに、いちばん頭が冴えている時間だから、です。
一日のうち、頭が冴えている時間って、午前中の3時間ほどです。

いら立っているのは、工事の音だけではなくて、ほかにもいろいろ。
こんなときこそ、落ち着いて、落ち着いて、と言い聞かせてやらないと。
もうメールおかえしすることはないとおもいます、朝、こんな句が目に入った。
もう二年も前のメールのなかの一部分ですが、心がぞっと冷めた感じでした。
辞めてもう一年が経って、ようやく次の形が出来てきたところだと思います。
あなたにも必要なことだと思うのが、牽引となって、進めてきています。
でも、もう、お知らせすることも、やめておいた方がいいのでしょうか。

これまでにも何度か大きな区切りをつけてきました。
新しいところへ旅立つときには、未練に憑きまとわれて、後ろ髪引かれます。
時間の経過で、過去へと追いやってくれるまで、やっぱり三年が必要ですね。
自分で、何してるんだろう、とまるで狐に抓まれた感覚で、わけわからない。
七十年というけれど、その年月が過ぎてしまって、残すは十年あるかなしか。
そう思うと、いらだちはひときわ、一刻たりとも無駄にはできないと思うんです。
目の前にある「孤立無援の思想高橋和巳全エッセイ集」という単行本に目がいきます。

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徒然にっき-27-

2017/10/08 10:41
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秋、今日は学区の運動会、朝から開会式に出席してきました。
地域のことに、若いころは無関心でしたが、年とるにつれ、そうではなくなってきました。
とはいっても進んで町役員をするとか、そこまでには至っていません。
何かに生きがいをみつける、そういうことで地域の人たちが役をされている。
ぼくには、地域ではない、もう少し広い領域で、アートに関して、でしょうか。
特別に、写真にこだわってはいないけど、結局は写真の枠組みです。
これは、経験によって、その内容の深部までがわかるから、といえます。

ほかのジャンルには、こだわっていても、評論できるほど知識がないですね。
文学なら小説のこと、古典なんかはわからない、漢詩なんてわからない。
俳句も、短歌も、どうしたらいいのかわからない、素人状態です。
知りたいと思う、だから、学ぶ場をつくって、そこで学びたいと思うのです。
既存の学び場があると言われれば、そうなのですが、はいれこめない。
自分で枠をつくる、そこで自分が満足していくものを得たい、その感覚です。
フォトハウス表現塾という名称の学びの場をつくろうとしています。

それぞれが自分のいる場所、自分が満足する場所を見つける。
その入り口を提供したいと考えているのです。
なんらかの生産に携わり、ほかの人と交流を深めていく、そのことです。
大きくは、反グローバル化、個性を重んじ、個人の生き方を尊重する。
自立といえばよろしいか、自分を見つめ満足するように作り上げる。
そのプロセスを、どうすれば確保できるか、その実践場としての表現塾かなぁ。
語れば語るほど、わけがわからなくなってくる感じで、気持ちは、虚しいです。




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徒然にっき-26-

2017/09/07 16:28
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あんまり無理しないで気の向くままにできることをやろう。
こうしてじっとしてあたりを見回してみると、だれがいるんだろう。
ほんの数人の方が、気持ちの上でも、ぼくを支えてくれています。
これまで奉仕してきた様々な処で、ぼくは遠い存在になっています。
ひとえにこれはぼくの資質に拠るものだと思えてきます。
けっこう正義感は強い方だと思います。
なにに対しての正義感かといえば、理想をダメにする勢力に対してです。

理想を求めて、自分の思う理想を追求していくことです。
これまで、妥協することばかりだったから、今を招いているんです。
自分を主張して、だました奴らにやり返していく、でもこれは孤立です。
雨の音が窓辺にしてきて、雨が強くなってきたようです。
いま、何ができるか、自分が正義と思えることを、手掛けていく。
なんだかんだといっても、自分が信じる道しか進めないのです。
いっぱいだまされてきて、いっぱい損をして、でもそれがわかって正解です。

そもそも、なぜ表現塾なるものを、作ろうとしているのか。
べつにあってもなかっても、世の中ほぼ全く変わらないと思われます。
その種の学びの場は、あっちこっちにあるように思えます。
ぼくが思うのは、表現塾は共同体のひとつです。
人と人のネットワークを、幸福が感じられるレベルで集えること。
一言で、反グローバリズムと言えますが、その内容はどういうことなのか。
このことの議論が必要だし、なにより生きていくことへの確実性を得たい。




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徒然にっき-25-

2017/08/24 11:23
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徒然にっき、なんてタイトルは、どうみても日本的な気がします。
ここで日本的というと、国粋主義かと思ってしまうけど、そうではありません。
でも、トランプ氏がアメリカ主義なら、こちらは日本主義、とでもするか。
日本という枠組みにこだわってはいませんが、国家という単位があるから。
国家という単位を解消するなんてことは、いまは考えていません。
むしろそれは意識外のこととして、個人の内面にこだわりたいところです。
ところがこの内面というのも、大きな世界と向きあっているんですから。

個人を中心にして、そこから、世界を見渡す、という作業が必要かと思います。
個人の感情というか、幸福感とか充実感とか、そういう感覚を得ていこう。
全体と個人とか、けっこう大きな問題で、近代の個人は、これの葛藤でした。
いま、あらためて、この時代に、あるべき個人の人格を、捉えなおす。
難しいことはさておいて、どうするべきなのか、です。
2002年に「カフェ&プレス」という概念を構想したんですが、検証しています。
これから何をするのか、そのことを、自分のために明確にしていくためです。

おととい、京丹波町の西村さん多田さんを訪ねました。
情報センターの見学もさせていただきました。
ケーブルテレビ局で仕事をされていて、フォトハウス表現塾のメンバーです。
質美小学校のスペースで写真展ができないかの打診です。
実行するための、これから具体的な枠組みをつくるところですが。
前向きに、主体となってやっていけるようにと思っています。
また、また、打ち合わせしながら、具体化していこうと思います。

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徒然にっき-24-

2017/08/12 12:14
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思うこと多いんですが、それを言葉に、なかなかできないです。
この年になって、懐疑心というか、疑い深い心理になってきます。
自分の言う事に対して、はたしてそれでいいのか、とかの疑問です。
他人様のことには、あんまりコメントしませんが、要は自分のことです。
表現塾をつくろうとして、そのコンセプトを探しているところです。
ああでもない、こうでもない、理想は何か、それをどう創るのか。
生きた時代によって価値観とか意味合いが変わるんですよね。

自分が生きた年代、時代という内容を検証してみたい。
おおむねその年代でその時代を経験した者どうしが共有できる。
そうかもしれない、世代が違って、見解とか意見とか、相違するんですね。
なんか、そう思うと、虚しくなってくるんです、これは感情の部分です。
感情は切り捨て、という時代があったとすれば、いまは感情込みです。
感情という厄介なものを基底に置いて、物事は考察されるべきではないか。
わけのわからないことで、コミュニケーションが取れないですね。

いまの時代、というのが正しいのか、今の年齢だから、が正しいのか。
なにを求めているんだろう、と根本的な問いが頭をもたげてきます。
真に必要なことは、避けて通らなければ、コミュニケーションが結べない。
いや、これは従前のコミュニケーション論であって、今は違う。
内面、自分、感情、そういった事柄が具体的テーマとなった時代ですね。
そのように思うことからしか、ことは進まないようにも思えるのですが。
未知の領域へいこうとするのは、不安と虚しさとも、入り交じりですね。



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徒然にっき-23-

2017/08/02 14:34
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2017年8月2日、夏真っ盛り、暑い日になっています。
午後になって、外出するのも億劫になって、家にいます。
フィルムスキャンをして、ノートブックパソコンを開けたところです。
思うこと、多々ありますが、胸につかえたまま、書き出せずにいます。
あれから2年、二年前の出来事が、フェースブックで出てきました。
その人は写っていませんが、その日のことは思い出せます。
その人は、いま、どこでなにをしていらっしゃるのでしょうか。

その後の消息が分からなくなって、もう知る由もありませんね。
その後のことが分からないということが宙ぶらりん感覚です。
区切りがつかない、いつまでも、たぶん、命尽きるまで。
そういう人のことが、何人かいらっしゃいます。
ぼくの気持ちの中のことで、完全に秘密の領域になります。
こころを開けるといっても、秘密はないといっても、秘密は秘密。
知ってほしいと思うけれど、ブログにも具体的には告白できない。

夏の日、小説を書き出して、それも匿名で書きますが、それに専念。
なにしてるんやろ、もうあと何年あるのか、それなのに、です。
成り行き任せで、無責任とはいえ、悶々とします。
新しい領域への展開は、これは公然だから、公表していきます。
秘密のない人生でありたいと思うけど、それは秘密のなかです。
まもなくお盆、今年は、父の七回忌ということで、予定を組んでいます。
人とは、永遠にあることはなくて、無限ではなくて、有限ですね。

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徒然にっき-22-

2017/07/15 21:44
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暑い日がやってきて、暑い日が去って行って、夏が終わる。
今年はまだ夏が始まったばかりなのに、暑さに負けてしまいそう。
もう70回を越えて、夏を迎える体験をしているわけです。
夏の思い出、カメラを持ったころ、内灘で弾薬庫の跡を撮った。
釜ヶ崎で、1979年と1980年、青空写真展をおこなった。
このように思いだすこといろいろ、この夏は、なにがあるのだろう。
記録をしておかないと、忘れてしまって、そのままになりますね。

近年だと、日記をつけるということもあり、最近ならSNSとかブログとか。
自分を意識する、意識した自分を記録としてのこしていく。
表現する主体が、かっては外にあった出来事を記録してきたものです。
それが近年では、自分という主体を意識して、記録していくことになる。
表現とは、自己を記録して、記憶の中に埋めていく、ということも言える。
かってあったような方法だけではなくて、自分を主観でもって記録し残していく。
そのレベルが、自己表現の現在点だといえるのではないかと思います。

フォトハウス表現研究所なるものを立ち上げました。
そこでは表現塾を主宰しようと思っています。
当分は自分が中心になって呼びかけ、進めていきます。
表現研究会のときは、主体にはならないで、集まったひとが中心に。
でも、キックオフは、だれかがやらないと立ち上がらないと悟りました。
自分のプロジェクトとして立ち上げ、グループ化しないといけない。
金銭の授受が伴わない組織運営は、なかなか難しいことだと思えます。

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