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中川繁夫のアルバムです kyoto 2009年10月〜2010年12月
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徒然にっき-11-

2017/02/25 11:35
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二月は逃げるという諺がありますね。
2月というのは、やっぱり過ぎるのが早い。
もう、今日は25日、天神さん、梅花祭ですね。
午後から天神さんへ行ってみようかとも思います。
梅花祭は幕が張られて外から内部が見えません。
千円いくらか払って入ると、上七軒の芸子さんがお茶接待。
ぼくは、お金を払わないから、見れません。

なんでも金のいることばかりで、これには反発しています。
結局この世は金次第、お金があれば何でもできる。
こういう風潮を払拭して、金がなくてもなんかできる。
まあ、お金がない、いや全くないわけではないけど、無い。
昨日は、釜ヶ崎労働者の裁判、仕事先で暴行された訴えでした。
高等裁判所で、控訴審、相手方が控訴してきて、次回、判決とか。
弱い者が勝つ、とは限らなくて、強い者が勝つ、これが風潮ですが。

フォトハウス写真研究会という名称で、次の展開を図ろうと思っています。
思ってみれば、枠組みがないから枠組みを作っていくということ。
でもこれは類似の枠組みがあって、そのなかみをどうするか、ですね。
自分では正しいと思うことが、一般ではそうでないことがままあります。
フォトハウスの企画も、そういうことかも知れないと思うけど、そうではない。
なにかクリエイティブなことやっていないといけない性格なのか。
でも、もう、最後だろうな、と思う事ばかりだけど、恍惚と不安と、なんて。

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徒然にっき-10-

2017/02/18 10:13
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人生やり直ししたい、ほぼ本気でこのフレーズが言葉になって出てきてる。
やり直しができたら、もっともっとやりたいこと楽しいことを、思う存分やりたい。
おとといだったか、嵯峨へ行こうと思って、行ってみて、嵯峨天皇陵に登った。
そんなに山の上にあるとは思っていなかったから、登り始めたのだったが。
このまえに大覚寺の周辺まで行って、名古曽の瀧跡って石組みを見てきた。
その延長上で、今回の天皇陵行きになったのだと思う。
嵯峨を訪れるのは昨秋から数えて三度目だ。

そこには人生やり直ししたい原点のところがあるように思えるのだ。
最近どこかで書いたけど、嵯峨名古曽町という地名についての記憶からだ。
ことの発端は、この地名にあって、そこはある人が住んでいた場所だと聞いた。
長澤氏との話で、FJの話題から、名古曽はFJではなくて嵯峨天皇の住居だと聞いた。
そうかそうかと納得したところで、最近になって、現地を見に行った。
嵯峨名古曽町は半世紀前、夜に、一度行ったところで、地名だけ記憶にあった。
17歳のときですね、高校二年生の冬になっていたかと思う。

FJというのは文芸部にいた女子のうちのひとり、なにかしら訳ありなような子でした。
嵯峨野高校だったから、広沢の池から大沢の池、嵯峨の方へはよく行ったものだ。
広沢の池でボートに乗ったり、山へのぼったり、ああ、青春そのものだ。
そのへんから人生やり直せれば、現実に過ごしてきた人生なんて歩まない。
前向いて、時間が過ぎる向こうを見て、走ってきたけど、いま立ち止まる。
立ち止まったところは、もう、行き詰まりのどんつき、行き止まり、そこにある。
これかもしれない、鬱的症状の原因、どんつまりであることを悟るからだろうか。




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徒然にっき-9-

2017/02/13 13:12
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まるで崩壊感覚です。
寒い日、ガラス戸がガタガタと音をたてています。
どうしたことか、虚しいような寂しいような老人性鬱なのか。
小説をいくつか書いているけれど、慰めみたいなものです。
あなたは、いま、なにを思い、なにをしようとしているのですか。
もう糸が切れてしまったから、お会いすることもないんでしょうね。
冬、寒い日、日曜美術館で長谷川等伯の足跡をやっていました。

堕落論、文庫本、手元に置いていますが、読めません。
パソコンの中身、整理しようと思うけど、なかなか進めません。
身の周りの書類とか、書籍とか、持ち物の整理、これも進まない。
袋に詰めてゴミに出す、少しは減っても、捨てきれないものばかり。
この先、どうしようかと思うところ、部屋の中、記憶ばかりです。
記憶がなくなったら、もうおしまいだとは思うけど、なにを頼りに生きるのか。
路上生活者のことテレビに映っていたけど、虚しいね、その光景。

流動的に、なるようにしかならないのだから、成り行き任せです。
そうすると何もことが運ばないのだけれど、自然の理で、運ぶ時は運ぶ。
そう思って、無理には走らせることもないのかも知れない。
このことが虚しい気持ちにさせてくるのかも知れません。
中学の同窓会、その打ち合わせに行った。
それぞれに人生を背負ってきて、いま、ここに、いる、感じですね。
遠い昔、とはいっても生きた時間の中の昔、思い出しながらの小説です。

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徒然にっき-8-

2017/02/04 10:57
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節分が終わり今日は立春。
光が春めいてきています。
一昨日は節分取材に出かけてきました。
写真を撮ったけれど、まだアップしただけでセレクトしていません。
ここに載せたのはスマホで撮った椥神社の御神楽です。
もう毎年の事、節分のときにはここへ来て御神楽を撮らせてもらう。
舞われる人も鉦太鼓の人ももう顔を覚えていておなじみです。

今年は最初に達磨寺へ行ってみました。
下立売通りでしょうか西大路から東に入ったところです。
以前に拝観しているので本堂のなかとか、見覚えがあります。
節分の前日だというのに、たくさんの人が参拝に来られています。
ぼくは写真を撮るのが目的だから、手を合わす前にカメラで合掌です。
70歳になって市内のバスと地下鉄がフリーパスでいけるので便利です。
昨年までは500円の乗り放題券を買ってまわったものでした。

椥神社は素戔嗚尊がご神体だと書いてありました。
古事記にでてくる神の名ですが、少しはわかるようになったかな。
神楽を撮ってそこから壬生寺へ馳せ参じます、毎年同じ写真を撮る。
それからバスに乗って八坂神社で途中下車、本殿で豆まきがはじまった。
ここでは写真を撮らず、豆拾いもせず、目的の吉田神社へ向かいました。
もう毎年のコースで、いつものところでシャッターを切る、いつもと同じですね。
帰りに、雨宝院経由で釘抜地蔵、千本えんま堂とまわってきました。




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徒然にっき-7-

2017/01/31 14:07
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2017年の1月が終わります。
もたもたしながらの日々ですが、1月が終わります。
朝からデーターを整理を、ハードディスクの中を整理してました。
データーの大多数が写真データーです。
ハードディスクに置いているけど、使うことが無いですね。
といって消してしまうことも気持ちの上でできないでいます。
といいながら何年も前の古いデーターはすでになくなっていますが。

フィルムをデジタルにスキャンしているところです。
1970年代の終わりから80年代初めのところをスキャン中です。
精力的にやってないからあんまりすすんでいません。
まだ数百本分はあると思うけど、ちまちまとやっていきます。
スキャンしてると、記憶が甦ってきたり、覚えていなかったり。
まさに自分の歴史、痕跡、歩んできた道、といったものですね。
今年になって新しいブログを作ったりして、リニューアルしています。

撮る写真も、神社仏閣を中心に摂りだしていますが、自分の記録です。
文章書くより、動画で撮るより、写真に撮るのが手軽ですね。
ちょっと世間から遠のいていく感じですけど、仕方ないんかなあと思う。
いつまでも現役なんて、自分では思っているけど、決してそうではない。
使った写真は、大覚寺、名古曽の瀧跡、嵯峨天皇の住まいがあった処とか。
F・Jさんの住所が、嵯峨名古曽町という記憶があって懐かしいんです。
どないしてるのか、まだ生きてるんやろな、ここかで生きてるんだよね。

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徒然にっき-6-

2017/01/22 09:03
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何処へ行って、何を書こうかと、うろうろ徘徊しています。
日曜日の朝、寒い朝、ラジオは美空ひばりのマドロスさん。
懐かしい、昔々、といっても60年ほど前になるのか。
老年になったものだ、つくづく自分の歳を思ってしまう。
写真を一枚載せていますが、このブログでどう見えるのか。
昨日、星が丘洋裁学校って所へ行かせてもらって撮った一枚。
うんうん、女子たちが写真の被写体にするイメージ満点の場所。

日本画を学ばれた方が、この場所で展示をされているので見に行った。
不思議な場所、そこで展示をするひとが不思議に思えているんです。
ああ、いまの時代の生き方が、この環境にあるんだろうな、自然派。
農塾に通ってたころのイメージが甦ってきて、ほんのりの気持ちでした。
おみかんをいっこいただいて、帰りの喫茶店で食べたら、おいしかった。
そのイメージは、思い出すと、おとぎの国の出来事だったような。
新しい学校構想を少しご披露して、縁があったら繋がると思う。

七行三枠というフレームで文章を書いていますが、これは公開です。
フィクションも書きたいし、芸術論的なのも書きたいし、と思っています。
正月以来、その枠をブログにて作っているのに、文が書けない。
なにかしら、重圧を感じてしまって、気持ちが思うように動かない。
もたもたしながら、雑文と雑写真を組み合わせて、お茶を濁してる。
思うひとがいるのに、遠回りして、結局、実名では触れられない。
アメリカの大統領、不評のようですが、ぼくはそうは思わない。

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徒然にっき-4-

2017/01/19 10:49
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もう長年の知りあい、稲垣さんの応援というか、支援というか。
彼が孤軍奮闘、組合と炊き出しの会を運営している姿に感動します。
おととい、裁判傍聴に動員がかけられ、センターからバスに乗る。
裁判のなかみには触れないが、勢力的に裁判闘争を続けています。
原告として裁判に持ち込むわけですが、弁護士、弁護団がいるわけです。
ぼくはそのまわりで、傍聴に行くひとりにすぎません。
その彼が、昨年から病気と闘っている姿をみて、感動的に応援します。

年齢的には、彼はぼくよりも数年年上で、老齢の部類です。
釜ヶ崎で、裁判傍聴の動員に応じてくる数十名のひとたちは、まだ若い。
若いといっても五十、六十、もう少し若いひとも見うけます。
みんな一生懸命生きている。
炊き出しに頼っているひともいるようで、バスの中で会話がある。
ぼくは、年金生活だけど収入があって、それで生活しています。
これ以上の金儲けはしないつもりで、底辺生活を続けようと思う。

生きることの価値観は、金がすべてではなくて、価値を別の処に求める。
それでいいと思っているけれど、金儲けすることに価値を見る人もいる。
金を持った多さで人間の価値が計られるわけではなく、生きる中身だ。
そう思って、その中身を見ようとしているけれど、それがわからない。
自分を見るということが、いま求められ、これからの在り方の価値だと思う。
そういう時代に来ていて、それをいかに作品化していくのか。
これが、表現のテーマとして必要なことだと思っているところだ。


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